社会という枠組みが消え、すべてが個人モデルで論じられるようになった結果、もうひとつ平成に肥大化したのが理系幻想、とくに「脳科学幻想」です。
牧野智和氏の『自己啓発の時代』(勁草書房)という研究で知ったのですが、平成の転機とされる一九九五年は、自己啓発本の書き手も大きく入れ替わる時期でした。宗教家や経営者の占めるシェア(とくに前者)が凋落らし、医師や脳科学者の比率が急増したといいます。
九五年にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こして宗教のイメージが悪化し、九七年には山一證券が廃業して日本経済の信用が失墜します。宗教家や経営者が信頼を失ったこの時期に、その役割を代替したのが(擬似科学も含めた)脳科学者や心理学者でした。
折悪しくこの後、猟奇的な事件が続きます。九七年~二〇〇一年に、酒鬼薔薇事件・桶川ストーカー事件・西鉄バスジャック事件・附属池田小事件と、犯人の人間性を信じかねる凄惨な犯罪が続発。「ああいう異常者は脳がおかしい」「だから理解なんかできないし、しなくていい」という風潮が高まるなかで、それを裏書きするような(擬似)脳科学が広まりました。
近年の欧米では「人種が違えば脳も違うから、わかり合えなくて当然」といった優生学的な発想が、オルト・ライト(穏和な保守派に挑戦する右翼)として台頭しています。しかし対話や思索、共存を「諦める」根拠に理科系の知をもち出すシニカルな思潮は、日本のほうが先駆けていたのではないでしょうか。
理想や正義を語る人を「イタい」と嘲い、現実はもっと残酷だとうそぶいて満足する姿勢をシニシズム(冷笑主義)といいます。平成の日本には、シニシズムが繁殖しやすい地政学的な土壌がありました。浮き世離れしていても「憲法九条の理想を守る」という戦後日本の考え方が、行き詰まりを迎えていたからです。
最大の画期は、二〇〇三年開戦のイラク戦争でした。多くの国がアメリカを批判するなかで、小泉政権はアメリカを全面支援して自衛隊を派遣します。政府支持の論客は、理想主義に対するリアリズム(現実主義)の外交をうたいましたが、結局は開戦の口実も噓だったと判明し、中東の秩序を破壊させるだけに終わりました。自称リアリストたちがその実、「理想論の虚妄を暴くためなら、汚い戦争に手を染めるのもありだ」というシニシズムに転落していたことの証左です。
国際政治の分野が先行してシニカルになり、追従して国内問題にも冷笑的な見方が広がりました。貧困や格差の改善を促すより、「完全な平等なんてありえない以上、お荷物な奴らは自己責任で見はなそう」と諦める声が増えていったように感じます。