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日本の科学は「歴史観」を失っている

キーノートスピーカー
西川伸一(オール・アバウト・サイエンス・ジャパン代表)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

キーノートスピーチ

西川 日本の科学研究力が落ちてきたと言われています。目下の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する日本の研究を見ても、それは明らかです。

日本の研究力が落ちた理由は、基礎研究と応用研究の予算配分の問題と言われています。しかし、本当にそうなのでしょうか。私は多くの世界の論文を読むなかで、日本の科学研究力が落ちた理由は、科学に対する歴史観の欠落が大きな原因ではないかと気づきました。

21世紀に入ってから、世界の科学の潮流は「人間の科学」へと大きくシフトしています。しかし、日本ではその現状の認識があまり感じられません。例えば、世界三大学術誌の⼀つである『Science』誌の2014年5月号をみると、「⻑期的には不平等」と題する人間社会の格差をテーマとした特集を組んでいます。

西川伸一氏

この特集の冒頭レビューには、「科学的な形で処理してきたものはすべてサイエンスである」と書かれています。格差問題の解決も今や科学であると、世界では科学者たちがみなそう感じ始めているということです。

他にも、もう⼀冊の三大学術誌である『Nature』誌を見ても、今までなら考えられなかったような論文が昨今は結構出ています。例えば2017年の論文ですが、「女性割礼の文化が変化している」という社会問題をテーマとする論文が『Nature』誌に掲載されています。そんなテーマが科学で扱われる時代になっているのです。

それ以外にも、トップジャーナルにおいて福祉問題、南北問題、地球環境問題などのテーマが続々と取り上げられています。さらに、『Nature』誌では『Nature Human Behaviour』という雑誌を新たに出版し始めており、その内容は医学や理学の臨床と基礎ではなく、人間の科学(人間全体を包摂したサイエンス)を対象とする内容になっています。

多くのノーベル賞学者を輩出している世界トップクラスの学術研究機関である、マックスプランク研究所が設立した「フランクフルト・マックスプランク研究所」の研究所の研究分野を見ると、1言葉と文学、2音楽、3神経科学となっています。科学のもっとも権威ある公的な研究機関も、今やこのような領域を研究対象にしているのです。

このように生命科学の研究領域は今日、大きく変わってきたのですが、そもそも生命科学の歴史はどう発展してきたのでしょうか。ゲノム研究の歴史を例に取って考えてみます。

近代科学の歴史を見ると、17世紀にルネ・デカルトが論争の場で、「わかることと、わからないこと」を明確に区別したことから始まります。

それまで科学は森羅万象をすべて説明し切ろうとした結果、作り話を認めてしまっていたのですが、デカルト以来、わかる領域だけが対象(物理学・機械論)となって、さらにコンセンサスを得るという科学の手続きが作られたおかげで、まず物理学が因果性の科学として成立するようになったのです。

こうして柔軟さを持って「わからない領域」から「わかる領域」に科学だけでなく、化学も入っていくのですが、残念ながら生物学だけは別でした。

生物が持つ心、道徳、目的、機能などという生物に内在するものは、もともと目に見えません。これら目に見えないものを科学に移行するプロセスが必要だと言われるものの、それが18世紀はうまく進みませんでした。

しかし、19世紀になると、ダーウィンの進化論が登場します。また、生物学といったら語弊があるかもしれませんが、20世紀になると、アラン・チューリングやクロード・シャノンによる情報理論が登場します。

もともと生命における非物理的な側面の理解は、ダーウィンの自然選択節というアルゴリズムによって拓かれたものです。そのアルゴリズムが、情報を科学に取り込むことで、生命科学が科学の土台にしっかりと乗った。それが20世紀の終盤のことです。

そして21世紀になると、アルゴリズムと情報が統合されたゲノム科学が完成します。これがこの先、21世紀の科学の大きな土台になる様に思います。

すでに、1000ドル以下という料金で、「あなたのすべてのゲノム情報を調べてスマホに入れます」と謳うサービスが存在しています。このゲノムを情報の塊と見なすようになっているのです。

ゲノム情報は、脳科学とは違って、基本的には「情報を完全に読める」というのが特徴です。なので、このゲノム情報と神経ネットワーク(脳)やエピゲノム(身体情報)も統合して脳や社会の問題まで、さまざまな研究がなされるようになっていく。それが21世紀の科学の趨勢なのだろうと私は見ています。

もうすでに世界では、ゲノム情報を組み合わせたさまざまな研究が当たり前のように行われています。日本の場合で見ると、国立がんセンターが中心になって人間のゲノムを順番に読んでいます。しかし、このような大きな研究を扱う場合、大学や研究機関などアカデミアのヒエラルキーのみを基礎に研究するだけではもはや不十分です。

では、今後はどのような仕組みで持って研究を進めれば良いか。⼀例ですが、最近では、ある同じ病を持つ患者さんたちのフェイスブックに似たSNSと協力して研究する例が出てきています。患者さん自身がそれぞれ身体状況をフェイスブックに日々記入することで、その病に関する重要データがどんどん作られていくという新しい仕組みです。

このITを活用した人間とデータの新しい関係性は、当然ITの進歩とともにますます進んでいきます。世界がこのような状況であるにも関わらず、日本の場合は原発と同じように、今もアカデミックのヒエラルキー型を中心に研究を進めている状況です。

しかし、そうではなく、これからはブロックチェーン型の新しいネットワークで研究を進め、人間に関するデータの集積というコレクティブインテリジェンス(集合知)を重視していくべきでしょう。

ヒエラルキー型の研究体制に、日本の生命科学の危機が見て取れます。政府も、科学者も、科学に対する歴史観と将来に対する見通しを見失ってしまっているのが原因です。