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日本の科学は「歴史観」を失っている

キーノートスピーカー
西川伸一(オール・アバウト・サイエンス・ジャパン代表)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

西川 そもそも人の脳の働きがそういうものかもしれません。

島田 ゼロかイチではなく、ゼロでもあり、イチでもある。本来人はそういう思考、発想を常に行なっています。

波頭 現実には、そういうランダムな思考をフォーマットに整理した方がいいのでしょう。ただし、うまく整理することだけが正しきことであって、すべての思考や発想を支配しようとしたことで、現在の科学はおかしな状況になってきたのでしょう。

音楽、小説、絵画も、大きさや距離感などをさまざまに歪めて表現します。その歪みが人間の⼀つのナチュラルな認知形であって、そのナチュラルさを普遍性が高い便利なツールで綺麗に整理してしまう。現代はあらゆる分野がそうなってしまったことが問題です。科学も小説などと同様に、もっと伸び伸びしたものであるべきです。

西川 本来、科学は単純に手続きです。例えば、私と波頭さんが、「この物質は大きいと認めましょう」と言うための手続きを、実験などの形で面倒だけどやる。科学にはそういう手続きがあるだけで、それ以外には何もない。なので、あとは伸び伸びと自由にやればいいのです。

波頭 情報は整理した方が共有化しやすいという話ですね。

西川 そうです。手続きとして整理する手法を樹立したのは15世紀のガリレオ・ガリレイです。近代科学はこのガリレオの大きな流れがあったのですが、21世紀に入って「人間のさまざまな現象をどうとらえるか」考え直すタイミングが来たわけです。

茂木 ざっくり言うと、20世紀は物理学(モノの科学)から情報の科学と言われます。その情報の科学から、ネットワークサイエンス、システムサイエンス、複雑系の科学などが出てきた。先ほど⻄川さんが言った、学術誌『Nature』も関連誌として人間行動の論文を掲載する『Nature Human Behaviour』を出し始めています。

今、世界のトップエリートたちは、人間行動もそうですが、“名づけ得ぬもの”に向かっています。例えば、まさにイーロン・マスクがそうです。翻って、日本にはこの“名づけ得ぬもの”をとらえる制度や仕組みがない。それがこの国の脆弱性を象徴しています。

島田 それこそ頭が悪いということです。

茂木 テレビ番組の「東大クイズ王選手権」は、正解が決まっている問題(クイズ)に対して、その解答回答を素早く答えるというものですが、そういうタイプの知性には意味がありません。そうではなく、名づけ得ぬものこそ我々が考えなければいけないことです。

それが教育の場でどうしても可能にならないことが、大きなエニグマ(謎)になっています。例えば建築家というと、みんな納得するけれど、ガーデナーなどデザインとアートの間の分野になると曖昧になってしまう。

 曖昧ですね。デザイン、アーキテクチャー(建築)、アート、エンジニアリングは、そういう分野に整理はされるけれど、本来これらは渾然⼀体としているものです。

茂木 おそらくここにいるメンバーの共通点は、名づけ得ぬものに向かう感性があることでしょう。だから、世間から誤解もされやすい。

島田 名づけ得ぬものに向かう感性は、病人の感性とも言えますので。統合失調症という病名があります。これは思考が分裂していて、統合し得ない想念がバラバラに発生している状態です。このバラバラの想念を⼀定の秩序のもとに整理しようという活動を、治療や教育と呼んできたわけです。

茂木 銀座の能楽堂でコシノジュンコさんとコラボしたイベントに出たのですが、お能は名づけ得ぬものをちゃんと捉えています。

 名づけられないものをとらえるのがお能ですね。

茂木 現代の日本人は、お能の名づけ得ぬものをちゃんととらえるということを忘れてしまっています。

波頭 このような話を科学者、研究者、医者である⻄川先生自身が提起しなければいけないこと自体が、社会が機能不全に陥っている証拠と言えます。

本来は、そういう提起をもっぱら行うような人やポジションがあるはずですが、日本には存在しません。では、どうすればそういう社会的役割を目指そうと思ってもらえるのか。例えば、茂木さんは文科省の大臣になって教育改革をしようとは思いませんよね?

茂木 思いませんね。

波頭 では、どうすればそう思ってもらえるのか。ヨーロッパを見ていて羨ましい点は、ドイツのメルケル首相、イギリスのボリス・ジョンソン首相、フランスのマクロン首相と、みな大変優秀な方であることです。

今日、⻄川先生が提起したようなことがわかる力量があり、それを国のポートフォリオ(評価法)や姿勢づけに適用できる政治家がヨーロッパには出ていますが、日本にはなぜか出てきません。その違いはなんなのでしょうか。

西川 それは若い人への期待ではないでしょうか。

波頭 若い人が活躍する場がない。

西川 そうです。そういう話をあるところでしたら、「これからEMBO(ヨーロッパ分子生物学機構)のセミナーを聞きに行く」という⼀人の学生が質問してきました。驚いたことに、そのEMBOのセミナーのタイトルは「The brain science of religion and atheism」というテーマでした。つまり宗教と無神論の脳科学です。

こうしたテーマを科学者と宗教学者が集まって、若い学生たちに話している。自分の思い込みでもいいから、今あるものとは違うものを、どんどん若い人に伝えていく。海外では、そういう努力が非常になされていると感じています。