波頭 ありがとうございました。歴史の流れを縦糸に西洋文明、日本、イスラーム文明を一望する、たいへん興味深いお話でした。まず初めに、そもそもの大前提にあたるような話でありながら、私たちのあまり知らない点についてお尋ねしたいのですが、そもそもイスラーム国家の中では、宗教家と政治家はどういった関係で、政策はどのようなメカニズムで決まっているのでしょうか。
中田 これについては、まず押さえるべきポイントが1つあります。よく「イスラームは政教一致だ」という言い方がされるんですが、実はその理解は正確ではないんです。ご存知かと思いますが、イスラームにはスンナ派とシーア派があって、たしかにシーア派のほうはそれなりに政教一致的なあり方なんですが、スンナ派のほうはだいぶ違っています。
ご存知のとおり『クルアーン』とは、ムハンマドが神から受けた啓示を成文化したものです。ムハンマドはカリスマで、神と直接交信できる。そこでムハンマドが聞き取った内容を記録したのが『クルアーン』です。ただ、そうは言ってもムハンマドも年中無休で絶えず神とやりとりしていたわけではありませんから、啓示がない部分に関してはいわば普通の人間として発言するわけです。そして、ある発言が啓示に基づくものかどうかは、ムハンマド本人が決めることであり、ムハンマド本人しか知りえません。ですから「これに関しては、神の啓示があった」とムハンマドに言うことについては、他の人はそのまま従うし、逆に啓示がなかったとされる物事については、みんなで解釈して決めていけばいいということになります。
シーア派の教えのポイントは、「いつの世にも必ず1人、ムハンマドの後継者が存在する」とする考え方です。そしてこのムハンマドの後継者が、カリスマ的な指導者として政治力を振るいます。もっとも、後継者といってもあくまで与えられているのは『クルアーン』の解釈権であって、文言そのものを変えることはできません。「一日に5回礼拝をする」「豚肉を食べてはいけない」といった文言自体は変えられないけれど、礼拝をどのように実践するかとか、どういうときには食べていいとか、そういう解釈を行なう権限があるわけです。そういう人間がいつの世にも必ず1人いると。それがシーア派の考え方で、たしかにこれは政教一致的なところがあります。
この後継者についての考え方によって、シーア派もいくつか分派に分かれています。最も主流なのは十二イマーム派といって、イランもこの流れの上にあります。十二イマーム派というのは要するに、ムハンマドののち9世紀の終わり頃までに12人のイマーム(ムハンマドの後継者)がいたんだけれども、最後の12人目のイマームが神隠しのようなかたちで姿を消してしまったとするんですね。そして、最後の審判の直前にこの12代目が再臨するとする、キリスト教に近い考え方を採用している。これは要は、いずれ真の後継者が戻ってくれば悪しきイスラーム教徒たちが支配する世界が覆って、善き世界が取り戻されるという、スンナ派から迫害を受けるなかで養われた発想によっているわけです。
イランにおいては、これがイラン・イスラーム革命のときに転換を迎えました。隠れイマームの再臨を漫然と待っていたのでは、イスラームを滅ぼそうとしている邪悪なパフラヴィー王朝によってイスラームが滅んでしまいかねないという危機感から、「イスラームの教えを勉強している法学者たちが、イマームにかわって政治を執り行なうべきだ」とホメイニー師が訴えかけたんですね。そこから法学者たちがすべて決めていくということになりました。実際のところ革命後まもなくは国会の議席なども法学者によってほぼすべて占められていました。今はもう革命から40年近く経って体制が安定したので、議員の間での法学者たちの割合も減り当時とずいぶん状況も変わっているんですが、とはいえ最高指導者をはじめとする国家の中枢は法学者が占めており、基本的には法学者が政治を司るということで、シーア派はだいたい政教一致だと言うことができます。
他方スンナ派のほうは、シーア派におけるイマームのようなカリスマの存在を、ムハンマド以後についてはいっさい認めません。政治的なことがらは、カリスマが決めるのではなく、人びとが自ら『クルアーン』に基づいて話し合って決める。ただ、実際には力のある者が決定権を握ることになっています。ですから、スンナ派においては法学者は指導者というより政治家のサポート役、というか実際には権力者に追従する御用学者的な位置づけにあります。とはいえ、イスラームの教えというのはかなり具体的ですし、それにあからさまに逆えばいかなる権力者も民衆の反感を買いますので、イスラームの学知の保有者として法学者もある程度は権威をもっています。
タリバーンというのは、学者たちが権力をもっていた預言者の時代に戻ろうという運動なんです。彼らはそもそもイスラーム学者なんですね。ですから、スンナ派のほうでイスラーム学者、すなわち宗教者が権力をもっているところは、タリバーンを除けば1つもないわけです。
波頭 シーア派のほうは法学者が実質的な権力をもち、他方スンナ派では法学者はむしろ飾りで、政治家が実質的な権力をもっているということですね。
中田 そういうことです。
波頭 イランでも、政治家は投票によって決められるわけですよね。他方でホメイニー師のような法学者の側のトップは、どのように選ばれるんでしょうか。
中田 基本的には法学者のあいだで選ぶかたちになっています。専門家会議という機関があって、そこで選出されます。日本の最高裁判所裁判官の国民審査のような感じで一般国民による信任投票もやってはいるんですが、基本的には法学者が決定権をもっていて、一般国民はほとんど決定力をもたないかたちだと言っていいでしょう。
波頭 「誰を次官に据えるか」みたいな感じで、法学者の間で選ぶかたちをとっているわけですね。
島田 そうするとやはり、非常に賢くて合理的な判断ができる、いわば聖人君主みたいな人が支配者としてトップに立つ、というイメージですか。
中田 そうですね、そういう感じです。