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帝国の復興と文明の再編

キーノートスピーカー
中田孝(イスラーム法学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

波頭 山崎さんは、本日のお話いかがでしたか。

山崎 個人的には「大日本帝國は霊性を欠く夜郎自大の民族主義だった」というワンフレーズを聞けただけで大満足です。そりゃあ戦争にも負ける。そして、あの負け方によって今日の日本があることを、痛感したお話でした。

今の日本の仕組みが何なのかと言うと、一応アメリカという「神」がいて、その下にぶらさがっている。けれども、そこで称揚されてきたある種の自由民主主義は、もはや世界の中で相対化されつつある。長らくアメリカの属国だった日本にとってそれを認識するのはなかなか難しいわけですが、そうも言っていられない現実があるということなのでしょう。

資本主義についても話が似ています。そもそも資本主義に日本がどこまで立脚していたのかについて反省しなくてはいけないと思います。ここにきて「新しい資本主義」といったことが言い出されていますが、新しいも何も、日本がやってきたことを資本主義や新自由主義の枠組みで解釈することが、そもそも的外れでしょう。実際のところ、日本の特に上層部の基盤にあるのは資本主義というより縁故主義でしょう。学校単位でつるんだり、そもそも政治家を見ると2世・3世だらけだったりというのは、縁故主義のわかりやすい表れだと思います。雇用が正規と非正規に分断されて、士農工商と重なるような実質的な階級差みたいなものが発生している目下の仕組みは、資本主義でも新自由主義でもあろうはずがない。正社員を解雇することさえできないわけですから。この点に関する根深い勘違いは、アメリカへの追従を価値観とする以外に手がない現状にあって、かなり深刻なものなのではないかと思います。

新たな理念をどこに求めて、日本がそれをどう発信するのか。中田先生はアニメをはじめとするサブカルチャーがカギになるとおっしゃっていましたが、今後の日本にとって発信できる理念を持つことは、大きな課題なのだろうと思いました。

波頭 先ほどキーノートスピーチの中で、日本のアニメをはじめとするコンテンツが誇る価値は「義理と人情」であるとおっしゃっていましたが、経済合理性よりもそうした価値を土台に据えたほうが、これからの世の中いいのかもしれないですね。

中田 私もそう思っているというか、それがあるからこそ日本はまだなんとか踏みとどまれているんじゃないかと思うんです。内田樹先生もずっと言っておられますが、『ONE PIECE』をはじめとする『少年ジャンプ』路線のコンテンツの特徴は、国家や政府みたいなものは信じずに、とにかく仲間を大切にすることです。これはまさしく義理と人情の世界ですよね。

その内田先生がここ最近言いはじめたことでちょっと気になっていることがありまして、それというのも大切にすべきは「仲間」ではないんじゃないか、とここ最近言っておられるんですね。というのは、仲間を大切にするという思想で押していくと、日本はそれこそ縁故主義になってしまうからだと。それで、大切なのは仲間よりもむしろ「勇気」だと言いはじめたんですね。他の人間がなんと言おうと自分だけは我が道を往く。それが重要なんじゃないかと。

波頭 なかなかいないですよね、いわゆる「勇気のある人」って。

中田 そうなんです。私がおやと思ったのはまさにそこで、たしかに「周りを見て足並み揃えて、なんてダメだ」と言いたい気持ちもわからなくはないんですが、それはちょっと無理なんじゃないかというのが私の考えです。

少し話が逸れますけれども、私の周りにいる人たちって発達障害者ばっかりなんですね、私自身は健常者なんですが。彼らを見ていてつくづく思うのは、勇気で突き進んでいくのはいわゆる健常者には無理だということです。せいぜい1回や2回くらいなら、「よし! 勇気を出してがんばるぞ!」というやり方でもまぁなんとかなる。でも、それが100回や1000回となってくると、常人にはとても続かないわけです。そもそも、いわゆる「勇気がいる」振る舞いをしょっちゅう繰り返せるような人たちは、基本的に考えるより前に身体が動く人たちなので、勇気を出す出さないといったことすら考えません。それはそういう素質をもった人たちにしかできないことであって、みんなに同じことを求めるのは無理があるだろうと私は思っています。

ただ、みんながみんなそういう人たちにはなれないとしても、そういう人たちを排除しないで尊重していくことはできるはずです。その意味でも、義理と人情が大切になるんじゃないかと思います。抽象的な理念じゃなく、仲間を大切にする。それは日本から積極的に打ち出していくべき価値観だと思います。

島田 先生の推されている『ONE PIECE』や『NARUTO』の世界観は、さかのぼれば黒澤明のそれとダイレクトにつながっているように思います。イランなどでは黒澤明の人気って結構すごくて、イラン映画の礎を築いた功労者のように讃えられていたりもするんですよね。それで、ここまでのお話をふまえて思ったのは、イラン・イスラーム革命前の、つまりパフラヴィー時代のイランが、ちょうど今の日本のような状況だったのではないかということです。そして、退廃的な社会が革命によって転倒してから約40年が経った今、イランはある意味世界の最先端を突っ走っている。そういう見方から得られるものもあるんじゃないかという気がします。

山崎 「イランに学べ」ですね。たしかにパフラヴィー時代のイランって、腐敗していてどんよりしていて、今の日本みたいな感じだったかもしれません。

中田 そうすると、次はタリバーンの時代が来るかもしれないわけですよ。