茂木 今日のお話を踏まえてぜひ具体的にお聞きしたいと思ったのが、カリフ制に基づくアラブ世界の統一をめぐる対話の現在についてです。今のアラブ世界は人為的に引かれた国境線によって、それこそ西欧的な単位である「国家」へと切り分けられているわけですが、それをカリフ制に基づいて統一していくということについて、イスラーム世界では実際にどういう対話が行われているんでしょうか。
中田 私が向こうにいた頃には、これは実は非常にセンシティブな話題で、とても口にできないといった風潮がありました。ただ、IS(イスラム国)がパンドラの箱を開けたようなところもあって、最近はわりと普通に喋れるようになってきましたね。
アラブの人たちの中には、国家は別に自らの所属するカテゴリー、アイデンティティの最も重要なものでもなんでもない、という感覚がごく当たり前のものとしてあります。隣の国に自国の人たちより親しい親戚がいるようなケースがいくらでもありますから。ですので、国家の枠組みに押し込められることへの違和感といったものはしばしば表明されますし、今はSNSなどでそういう言説もどんどん拡散されていきます。権力者たちはそれでは困るから一生懸命抑え込みにかかるわけですが、抑えきれないくらいに勢いが強まりつつあるのが現状です。
茂木 イスラーム世界の統一といったときには、範囲としてはどのあたりまでが射程に入るんでしょうか。
中田 文明圏の話として考えると、だいたい17世紀頃のオスマン帝国の版図くらいの範囲が中心になってくると言えるでしょう。統一の中心になってくるのも、アラブ世界ではなくトルコだと考えるのが妥当です。というのも、イスラーム世界においてアラブ人が本当の意味で政治権力をもっていたのはせいぜいアッバース朝の前期までで、9世紀頃よりあとはむしろトルコ人がイスラーム世界を軍事的・政治的に支えてきたんですね。トルコ人が政治をやって、ペルシャ人が官僚としてそれを支えて、アラブ人は詩を詠んだり『クルアーン』を誦んだりして、という構造が基本なんです。ですから、アラブ人というとオイルマネーでものすごく潤っていて、イスラーム世界の中心にいる人々といったイメージを持たれがちですが、本当の政治の中心はトルコなんですね。現在起きているのはまさにそこに戻っていく動きで、アラブ人たちはお金の力でその動きに必死に抵抗しているわけです。
波頭 そうなると、西側諸国から見ると変人にも見えるエルドアンはイスラーム圏においては実はとても重要な地位と力を持つ存在なんですね。
中田 そうなんです。私もなるほどと思った出来事があったんですが、それというのもエルドアンの『クルアーン』の読誦がびっくりするくらい上手だったんですね。アヤソフィアという、それまで博物館として使われていて、2020年にモスクに回帰した建造物がトルコにあるんですが、そこで86年ぶりに行われた金曜礼拝で、エルドアンが『クルアーン』の独誦をやったんです。それがものすごく上手かった。普通のアラブ人にはまったく真似できない、『クルアーン』の読誦学をきちんと専門的に学んだ人間にしかできない誦み方でした。
波頭 話が少し戻るんですが、ISもイスラーム圏内部での再構成の動きですよね。かつてのオスマン帝国のような拡張主義的な、外向きの覇権主義みたいな思想というのはあるんでしょうか。
中田 18世紀に起こったワッハーブ派はかなりそれに近いです。今のサウジアラビアの国教になっている宗派ですね。そのワッハーブ派を復興したものが、実は今のISなんです。
ISに関して何が問題かというと、学問的な支えが弱いんです。ISに実際に足を運んでみてわかったんですが、学問的にきちんとイスラームを勉強している人が本当に少ない。だからすごく薄っぺらいんです。この辺は源流であるワッハーブ派と事情がよく似ているところであります。ですから、簡単に誰でも参加できるから短期的には広まるんですが、学問的な深みがないからすぐに頭打ちになってしまうんですね。
波頭 なるほど。イスラーム世界において尊敬を得ようとしたら知的でないといけない、という価値観は健全で有効な社会基盤ですよね。
中田 たしかにそうかもしれません。その点でいうと、イラン人の指導者などはやはり学問的な基盤が基本的にしっかりしています。ペルシャ人はイスラーム世界で長らく政治を担ってきた人たちなので、その中でイスラーム的なレトリックが素養として培われているところがあります。加えて、アリストテレスに由来するレトリックも、伝統として受け継いでいる。ですから基本的に説教はすごく上手ですね。それこそ日本の政治家とは比べ物にならないレベルと言っていいと思います。ハーメネイー師にしても、長らく説教師をやっていた人でもありますから、本当に演説は立派なものです。