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帝国の復興と文明の再編

キーノートスピーカー
中田孝(イスラーム法学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

波頭 中島さん、何かご質問等あればぜひ。

中島 今日ぜひ中田先生にお伺いしたかったのは、大川周明という人物についてです。いま存命の人の中で、かつての大川周明と深いレベルで対談できる人物は誰かと問うたとき、私は中田先生以外にいないと思っているんですが、それはやはり1つには、大川周明がイスラームに非常に主体的な関心をもっていたからです。ただし、大川自身はムスリムにはなりませんでしたよね。竹内好は、大川はイスラームによる世界統一みたいなことを考えていたんじゃないかといったことを言っていましたが、おそらくはそうではなくて、彼が知りたがっていたのはイスラームがもつある種の普遍性の構造みたいなものだったと思うんです。砂漠で生まれた宗教が、なぜインドネシアのような密林の地にまで広まっていったのか。その普遍的な波及力、文明性みたいなものを、日本の国体がもつことができるのか。大川はそういうことを考えたんじゃないかと思うんですね。そして、大東亜共栄圏のようなものを、領域国民国家を超えた1つの新たな帝国として定義する、まさにカリフ制と天皇制を並列させるごとく考えた最大の思想家がおそらく大川周明だったと思うんですが、この人物を中田先生がどう見ていらっしゃるのか。もしよろしければ教えていただけますでしょうか。

中田 実を言うと、大川周明の政治思想にイスラームがどこまで反映されているのかは、文献学的にはあまりはっきりしないんですね。日本の評論家にも安藤礼二さんのようにそのあたりを研究している人はいるんですけれど、いまいちはっきりしたことはわかっていません。ただ、彼がイスラームのカリフ制と天皇制とを、法の支配という点に着目してオーバーラップさせて考えていたところはやはりあると思います。

先ほどスピーチの中で「神道には神学がなかった」という話をしましたが、日本は西欧から文明国として認められるタイミングでこのことを逆手にとったようなところがあります。つまり、西欧諸国から「宗教の自由を認めなくてはいけない」と要請されたときに「神道はそもそも宗教ではない」という言い方をするわけです。あくまで国体の基礎をなす原理であって、宗教ではない。ですから、国家への忠誠を求めはするんだけれども、異教徒や異民族を排斥したり改宗を迫ったりすることはない。大川はその点で、神道とイスラームとのあいだに共通するものを見ていたのではないかと思います。イスラームも、異民族や異教徒が政治の世界に入ることを拒みませんし、権利も平等に与えます。相容れない相手であっても、迫害したり変容を迫ったりすることなく、いわば敵同士のまま共存する道を探る。そうしたイスラームの原理に、大東亜共栄圏という構想の基盤となるべきものを大川が見出していたということではないかと思います。

神保 転じて非常に卑近な話になってしまうんですが、現今のウクライナ情勢についてお尋ねさせてください。リアルポリティクスではNATOの拡大がどうこうとか天然ガス云々とかいう話になってしまっているんですが、やはり各国とも実際の行動を考えるうえで歴史的な経緯などをふまえているはずだと思うんですね。単純な近視眼的な、今年の冬をどうやって越そうみたいな話以上のことは考えているだろうと。そのあたり、イスラーム的な歴史観をふまえてどうご覧になっているか、お話をいただければと思います。

中田 スピーチの中でお話ししたことの繰り返しになりますが、ウクライナにはクリミア・ハーン国という、テュルク化・イスラーム化したモンゴル系の王朝が存在していました。このクリミア・ハーン国の系譜を継ぐ人たちが今で言うクリミア・タタール人で、トルコは彼らとのあいだに文化的な絆を認めているんですね。現今のウクライナ情勢を考える際には、こうした背景を念頭にトルコの動きも見ていく必要があります。

現在のトルコの政策は、理論的にはアフメド・ダウトオールというトルコの前首相が書いた『文明の交差点の地政学』(中田考監訳、書肆心水、2020年)という本の内容を下地にしています。この本に書かれているのは要するに、オスマン帝国の地中海の旧領土と中央アジアのテュルク系の人たちが住まう地域、その両方の中心にトルコがなっていこうということです。「ネオ・オスマン帝国」として警戒視されているエルドアンのグランドプランは、中央アジアから北アフリカまでのトルコ系の人たちを文化的紐帯によってまとめ上げて、世界の中心としてバランスをとっていこうということなんです。一昨年に始まったアゼルバイジャンとアルメニアの紛争にトルコが介入してロシアと衝突したのも、その流れにおいて起きたことです。

逆に、バルカン半島やウクライナのあたりのトルコと文化的な絆をもっている人たちの側も、ロシアからの圧迫に際してはトルコに助けを求めてきた歴史的な経緯があります。先にお話ししたように、多民族・多宗教を共存させるかたちで包含するのが帝国のあり方ですから、トルコの側も助けを求められたら受け入れるんですね。アルバニア人は民族的にはスラブ人ですけれども、ムスリムであればまずトルコを頼っていきますし、トルコの側もそれを受け入れます。クリミア・ハーン国の系譜を継ぐクリミア・タタール人にしても、ウクライナの中ではけっしてマジョリティではない人たちですが、トルコは自分たちが保護しなくてはならないものとして考えているわけです。

神保 トルコがまとめ上げていこうとしている圏内には、リトアニアも入ると考えていいんでしょうか?

中田 リトアニアは入りません。ハンガリーまでですね。