Report 活動報告詳細

HOME>活動報告一覧>帝国の復興と文明の再編

帝国の復興と文明の再編

キーノートスピーカー
中田孝(イスラーム法学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

中華文明圏のなかの日本

さて、ここからは中華文明圏における日本の位置づけについてお話ししていきたいと思います。

そもそもの前提として、私は東アジアを「中華文明圏」と捉えており、日本の動きもその枠組みにおいて考えています。歴史家・文明学者であるアーノルド・トインビーは日本を「中国文明の衛星文明」と位置づけましたが、私は「日本は中国文明の周辺文明として出発し〔中略〕再びヨーロッパ文明の周辺文明となった」(堤彪「バグビーとトインビー」『共立薬科大学研究年報』第19号、1974年、71頁)という評価こそが妥当だと認識しています。

西欧の世界植民地化の時代であった19世紀、東アジア=中華文明圏においては、大別して3つの対応がありました。すなわち、①異民族王朝たる大清帝国による改革再建(中体西用、洋務運動、掃清滅洋)、②漢民族による国民国家建設(滅満興漢、辛亥革命、五族共和、中華民族)、③異民族王朝としての大日本帝國による大東亜共栄圏建設の3つです。③については、あまりこのような言い方をしている人がいないため、初めて聞く方も多いと思うんですが、最近になって私はこういう認識をするようになりました。つまり、日本の大日本帝國は中華文明圏の再興の1つのかたち、中華秩序の新しい再生の1つのかたちだったという見方です。

その後の歴史をたどっていくと、結局①は失敗し、多民族共生型中華帝国としての大清帝国は滅亡にいたりました。大清帝国が多民族・多宗教を包摂して成立していたことは、先にも述べたとおりです。他方、②の漢民族の再生運動は、国際共産主義を採用した中華人民共和国と民族主義資本主義を採用した台湾(中華民国)が競合するかたちで現在も継続しています。後者が前者によって飲み込まれてしまうかどうか、向こう1年くらいがまさに瀬戸際という印象ですが、いずれにせよ漢民族による国民国家は継続しています。

そのようななか、③すなわち日本帝國はどうであったかといえば、第二次世界大戦における敗北で海外領土を失って滅亡したのみならず、アメリカの属国としての再出発による経済発展(Japan as No.1)もバブル経済の破綻で頓挫するという、いわば「2度の敗戦」に終わっています。本日は「大日本帝國の敗戦処理」というタイトルでお話をさせていただいているわけですが、この敗戦とはまさしくこの「2度の敗戦」を指しています。

大日本帝國はなぜ敗れたか

日本の1度目の敗戦、すなわち大東亜共栄圏構想の失敗と第二次世界大戦での敗北については、私は結局のところ大日本帝國に理念がなかったことが主因であったと考えています。たしかに経済力や科学力など、物質的な力関係も重要な要因でした。しかし究極的には、多民族の共存を可能にする神学が大日本帝國になかったこと、仁を欠き徳がなく植民地の諸民族の人心を得られなかったことに尽きると私は思っています。

戦前の日本において神道は国教とされていましたが、実は神道家は日本の政治に何の影響力も有していませんでした。神主というのは基本的にみな公務員で、神学的な理解をきちんと備えた人もほとんどいなかったわけです。明治の元勲の中にも神道家は一人もいませんし、その後も総理大臣は言うまでもなく、枢密院や内閣や国会に神道家の居場所はありませんでした。イデオローグや思想家についても同じで、影響力をもった人の中に神道家は皆無です。

これはつまり、当時の日本には神道をまともに教えられる人がまったくいないに等しく、民衆を教化するものが何もなかったということです。どんな立派なスローガンを掲げても、それは霊性を欠いた夜郎自大の民族主義以上のものにならず、植民地現地の人たちの支持を得られませんでした。そのため、朝鮮半島でも台湾でも、現地人たちの間に日本に残ろうという運動は起こらず、大日本帝國は海外領土のすべてを喪失して瓦解したわけです。

その後、みなさんもご存知のように、日本は事実上アメリカ軍の占領下に入り、西側陣営に組み込まれます。冷戦による東西対立の激化のなか、日本はアメリカの属国となって「反共の防壁」としての役を与えられ、再軍備化・経済復興を果たしていきました。高度経済成長を経てついには「Japan as No. 1」と称されるほどの経済大国となった日本ですが、結局はその経済力を活かすこともままならず、20世紀末から今世紀初頭にかけて中国にその地位を奪われることになります。この「第2の敗戦」についてはのちにまた少しふれたいと思いますが、その前にいったん、17世紀に起源を有する領域国民国家システムが、第二次世界大戦後にどのような変質を遂げたのかについてお話ししたいと思います。