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帝国の復興と文明の再編

キーノートスピーカー
中田孝(イスラーム法学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

西川 イスラームにおける法学者の権力に関わって、私たちの分野で面白い話が1つあるんですが、それというのもイスラーム世界の中でイランだけが人工中絶を認めるようになるんですね。非合法の人工中絶で毎年8,000人くらいの国民が亡くなっている実態を受けて、ホメイニー師が「妊娠4ヶ月までなら中絶を認めてもいいんじゃないか」という提案をしたと。それが最終的に、国会で期限の部分だけ修正されるかたちで可決されたんですね。そうした経緯などを見ていても、ホメイニー師という人はきわめて現実的な話をするんだなぁという印象があります。

そしてその結果、イランでは今ES細胞はじめ胚を使った研究や、人工授精や生殖補助医療がものすごい進展を見せています。生殖補助医療が禁止されているサウジアラビアなどの人たちが、イランに移動して治療を受けるといった状況もあると聞いています。

波頭 経済的にも科学的にも、イスラームの国々の中でイランは突出していますよね。それはやはり、スンナ派の仕組みが現実的に機能しているということなんでしょう。

西川 人工中絶に関しては、キリスト教は徹底的に反対を貫いています。元をたどればルーツは同じ宗教である以上、生命倫理をめぐってはイスラームにも同様のプレッシャーはあるはずだと思うんですが、そこで現実に即したファトワ(教令)を出せるのはすごいなと。あれは本当に驚きましたね。

中田 そのあたりの話でいうと、これもホメイニー師が見解を出したんですが、イランでは性転換も認められています。モロッコあたりでは昔から闇では行われているんですが、基本的にはイスラーム世界、スンナ派の世界では性転換は許されていません。その点イランでは、性自認が肉体の性と違った場合には前者に合わせて後者を変えていいと認められています。

それから政治的な権力の所在にまつわる話でいうと、実はイラクのほうがもっと面白いです。イランでは一応、指導者の位置づけに関しては憲法にちゃんと定めがあって、革命によって指導者になったホメイニー師は例外としても、それ以後の指導者たちは憲法にきちんと裏支えされるかたちで権力をもっています。

ところが、イラクのほうはどうかというと、今の実質的な最高指導者であるスィースターニー師は、憲法上・法律上は実は何の権利も権限ももっていないんですね。実際にはスィースターニー師がトップにいて、彼がOKを出すとすべてが決まることになっているんですが、それは法的な根拠に支えられた話ではまったくないんです。文字どおり法の上にいる。しかも彼はもともとイラン人で、イラク人ですらありません。20歳くらいにイラクにやってきてシーア派のイスラーム学問の中心地ナジャフで勉強して、そのままイラクでイスラーム学界のトップになってしまった。ですから、法律的な支えがまったくないにもかかわらず国のトップに立っているという意味では、いわば彼のほうがイランの最高指導者ハーメネイー師よりも権威は上なんです。

島田 7年ほど前に、ミシェル・ウェルベックが『服従』(大塚桃訳、河出書房新社、2017年)という作品を出しました。フランスがかなり移民社会化して、人口でもイスラーム教徒をはじめとする移民が多数を占めるようになり、社会的に重要なポストなどに就くようにもなるなかで、伝統的なヨーロッパ社会の政治制度がうまく機能しなくなり、極右の台頭なども相まって権力の空白が発生してくると。そこに、西欧的ないわゆる人権や民主主義といった概念を換骨奪胎したような、非常に理性的な主張をするイスラーム系の人物が登場するんですね。それで、その人がそのまま支持を得て、政治のトップになってしまうといった顛末を描いた作品で、かなりリアルな未来予想図として受け止められて話題になりました。本作で描かれたようなヴィジョンについて、何かお考えはありますか。つまり、移民によってヨーロッパの中に織り込まれていったイスラームの指導者たちが、これまでのヨーロッパの思想的・政治的なものの限界を超えてくる可能性はあるのかということです。

中田 5年ほど前に『帝国の復興と啓蒙の未来』(2017年、太田出版)という本を出したんですが、実はこの本で当のウェルベックの作品に言及したんですよね。ヨーロッパの中にも伝統的なキリスト教の価値観を復活させようという、今のいわゆる右翼につながるような動きがあって、『服従』はまさにこの勢力とイスラーム勢力が結びつく話なんだという指摘をそこでしました。右翼勢力は反イスラームだと見られがちだと思うんですが、そうではなくて世俗主義的・反宗教的なものに対抗するという点でむしろ共通する部分があるんです。宗教的に言っても、キリスト教とイスラームは中世まで戻ると結構似ているところがあります。

今は世界的に、宗教的・伝統的な価値観をもつ人たちと、世俗主義的・反宗教的な人たちとの対立が大きくなってきています。アメリカなどでも、リベラルのインテリと、伝統的なキリスト教的価値観をもっている人たちの対立が先鋭化しつつあります。そういうなかで、保守的な人たちの間で「実はイスラームの価値観って案外自分たちのそれと似ているんじゃないか」という話が出てくるのは、まったくおかしい話ではないと思います。

波頭 キリスト教もイスラームも、宗教としては一本の系譜ですもんね。

中田 そうなんです。宗教改革が起こってプロテスタントが出てくるまでは、かなり似通った部分をもっていたと思います。
ヨーロッパにおいても旧い時代、それこそ神聖ローマ帝国の頃に戻っていこうといった動きはしばしば起こっています。ハプスブルク家の再興や王党派の復興といったヴィジョンを掲げる勢力が、何年かに1度は出てくるんですね。それにしばしばイスラームが呼応して、共闘するようなかたちになることもあります。私が一時期属していたハッカーニーヤというグループもそういうところでした。イギリスでも、ハノーヴァー朝の血筋に預言者ムハンマドの血が入っているということを根拠に、右寄りの人たちとイスラーム系の人々が手を結ぶ動きがあったりするんですね。右翼勢力とイスラーム勢力の結びつきは、そういう意味で大いにありうる話だと思います。