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ネオコンとロシア:ウクライナ戦争のもう一つの視座

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

キーノートスピーチ

波頭 本日は、国際的にも国内的にも政治が大変な混迷を迎えている状況下ということで、神保さんに発表をお願いしました。今年に入って2回目のご講演になりますが、お忙しいなかお引き受けいただき誠にありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。

神保 よろしくお願いします。いま日本に関係してくる国際問題といえば、なんと言ってもロシア – ウクライナ戦争だろうということで、本日はそちらについてお話をさせていただきます。

今から遡って約60年前の1961年1月17日、当時アメリカ大統領であったドワイト・アイゼンハワー大統領が、その退任に際して演説を行いました。1953〜61年の8年間にわたって大統領を務めたアイゼンハワーは、おおよそ退任演説に似つかわしくない、それでいて重要な指摘を、この演説の中で行いました。彼は当時のアメリカのある実情について、日本語では「軍産複合体」と訳されている ”military-industrial complex” という表現を用いて、危機感とともに語ったのです。

神保哲生氏

第二次世界大戦時、アメリカはとてつもない規模の軍事費を投入し、結果見事に大勝利を収めました。戦後も武装解除を行わず、大戦を通して得た利益によって戦前と変わらない体制を維持できたのは、ほとんどアメリカのみと言っても過言ではありません。アイゼンハワーが指摘したのは、そうした大勝利の裏側で自国の軍需産業が大きく膨れ上がりつつあった状況に対する危機感です。巨大な軍需産業が巨額の資本と膨大な人員を抱え込み、政治に対しても着々と発言力を増しつつあった状況に対して、彼は強い危機感を覚えていました。

アイゼンハワーがその存在を指摘した構造は、なかなかわかりやすい形では目にすることのないものではありますが、現在に至るまで存続しているものであると言えます。前アメリカ大統領ドナルド・トランプのキャッチフレーズの一つに “Drain the swamp”(直訳すると「沼を排水する」)というものがありました。ここで言われていた “swamp” とは、ワシントンを中心にアメリカの既存の政治システム内に巣食う既得権益集団や利権集団を指していますが、その最たるものが軍産複合体であると言ってよいと思います。

今年2月24日にロシア – ウクライナ戦争が勃発して以降、皆さんは少なくとも3〜4月頃までは、各メディアの報道を通じて戦況の変化を、日々天気予報を見るように見てこられたのではないかと思います。最近では戦況にもあまり変化が見られなくなってきており、メディアでも以前ほど熱心な報道が行われなくなってきていますが、それでも折にふれて各メディアの出している戦況地図などをご覧になりながら、皆さんその時々の情勢を把握されてきたのではないかと思います。

さて、ここですごく重要なポイントが一つあります。この戦争の動向を知らせる戦況地図の出典が、実は日本の各メディアどこも同じであることに気づかれましたでしょうか。それもそのはずで、どのメディアもアメリカのある組織が発表したものを一貫して使用しつづけています。日本だけでなくアメリカ、それからイギリスでも、メディアは同じようにその組織が発表する情報をそのまま報道と言いますか、垂れ流しをしています。NHKや朝日新聞はもとよりBBCやニューヨーク・タイムズでさえ、裏取り、つまりその情報の正確性や信頼性を確認した上で報道しているわけではありません。しかも、その組織がアメリカのいちNGOに過ぎないと聞いたら、ちょっと驚かれるでしょうか?

その組織とは「戦争研究所(ISW: Institute for the Study of War)」という名前のシンクタンクです。ISWは、ウクライナの戦況の移り変わりをまるで天気予報のように毎日Webサイト上で公表していますが、もちろんISWの特派員がウクライナに多数派遣されていて、現地の情報を隈なくチェックしているわけではありません。それはアメリカ政府も同じ状況です。ISWは基本的には民間の衛星企業から入手した衛星写真を元に、アメリカ政府のインテリジェンス・コミュニティがリークする戦況分析を公表しているわけです。まあ、ISWが発表する戦況分析はほぼアメリカ政府のそれと同じであることが前提になっているので、日本のメディアはアメリカのインテリジェンス・コミュニティの見解を毎日、それがあたかも客観的なファクトであるかのように報じているということになります。

ウクライナ戦争の戦況という、色々な意味でとても重要な情報を偏にその組織に頼っているわりには、おそらくここにいる皆さんも含めて多くの方は、このISWというシンクタンクがどういった組織なのか、ほとんどご存知ないのではないかと思います。それって結構やばい話だと思うのですが……。少なくともメディアは、自分たちが垂れ流している戦況情報の出元となっている組織について、多少なりともその属性などの情報を出すのが筋ではないかと思いますが、ISWという組織について最低限の説明している日本のメディアは、私が知る限り皆無と言っていいのが現状です。そのような情報源から得られた情報を客観的で正しいものとして情勢判断が行われている、そうした状況自体が私には奇妙で危ういものに思えます。