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コロナ後の世界

キーノートスピーカー
内田樹(思想家)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

ディスカッション

島田 ナショナリズムをアウフヘーベンしてインターナショナリズム(国際協調)を目指した時期がかつてありましたが、それに対立するようにトライバリズムが出てきました。トライバリズムは自国中心主義のように内にこもるイメージでしたが、一方でグローバル・トライバリズムという右翼の野望とも呼べるものも出てきています。例えば最近では韓国国内のリベラルを抑圧するために情報院が日本の右翼にお金を払う構造の存在が明らかになりました。

CIAも日本や韓国、ブルガリアといった国家に対して、地域のトライブを優遇して仲間にすることで間接統治を非常に容易にしてきました。これも一種の変なグローバリズムだと思います。そちらの方向性が強固になっていて、右翼同士の野望みたいなものが世界を覆っている感があります。

内田 トライブよりもっと小さいグループでもそうです。もともとグローバル資本主義において私企業は自己の利益と株主の利益だけしか配慮しません。いかなる国民国家に対しても忠誠心を持たず、自分たちさえ良ければそれで良いという私企業が世界的なネットワークを張り巡らしていたのです。これは極限的なトライバリズムです。

ナショナリズムの良いところは、個人ではなく国民という共同体の集合的な利益を仮構することで、自己利益だけでなく集団の利益も考えるようになることです。グローバリズムは極限化したトライバリズムなので、それをもう少し健全な中規模くらいのナショナリズムに戻していこうという流れが起きつつあります。

島田 本来はトライバリズムを乗り越えてナショナリズムを構築し、それからインターナショナリズムへと向かう道筋だったのでしょう。

波頭 いまの島田さんと内田さんの話とも関係するのですが、拡大してきたグローバリズムとは言い方を変えるとキャピタリズムであり、資本効率の良さを競うものです。そのバックラッシュが進むためには、国民経済でも小さなコミュニティでも、「金が儲かるよりもこっちの方が大事だよね、経済合理性よりもこの方が大事だよね」という意識が内部で共有される必要があります。例えばタリバンやISにとってはお金儲けという資本的利得は最大の価値ではなく、アッラーの神に気に入ってもらうことの方が大事なようにです。

いまの社会はコロナ対応のために目先の経済的利得を捨ててでも生き残ることを優先していますが、コロナが落ち着いてきたらまた社会がキャピタリズムに巻き取られてしまうことを心配しています。

内田 キャピタリズムが限界に来ていることは、特に若い世代にとっては常識になってきていて、ここ数年コモンズの話が色々なところから出ています。

二極分化して生じている格差を是正して平等を実現しようとする場合、従来であればお金持ちに課税をしたり革命を起こしたりして、お金持ちの懐に手を突っ込んで再分配してきました。ところが20世紀の実験を見ればわかるように、こうした方法は全て失敗してきました。

波頭 格差を広げる政治をやり始めた安倍政権以降の自民党への投票比率が高い世代は、20代だという事実があります。若い人が自分たちの首を絞めるような格差を広げる政治を支持していることが非常に心配です。内田さんがおっしゃるように若い人はそういったところからは出ていっているのでしょうか。

内田 コモンズのことを言うような若者は少数派ではあります。でも若い世代からマルクスの読み直しをする人が出てくるというのは徴候的だと思います。同じ少数派でも元気のいい少数派とルサンチマンの少数派は表情が違います。白井聡さんや斎藤幸平さんは、顔が明るいです。

波頭 白井さんや斎藤さんがお持ちのような意識が20代の普通の学生や社会人に共有されていたらよいのですが、そうではない気がします。

内田 でも昔からそういうものだと思います。僕らの若い時もマジョリティの人は目が死んでいました。学生運動をやっていた人も、よくよく見ると目が死んでいました。本当に生き生きとした目をしているのは、いつだって一握りなんです。

問題は生き生きとした目をした人たちが、汎用性のある知見を語るかどうかです。1968~69年にも生き生きとした目の人たちはいましたが、党派闘争で消耗してしまいました。いつの時代もそういう人の頭数は少ないもので、全体の3%ぐらいだと思います。

西川 そうした若い人たちの話も含めて、国家と資本だけでなく市民をどう位置付けるかが大事だと思います。言ってしまえば民主主義が機能していないから市民も機能しないという話になるのかもしれませんが、国家と資本の関係だけをいくら手直ししても限界があるように感じます。

島田 無党派層が人口の大部分を占めています。政治的スタンスを持って投票行動をする人を市民とした場合に、無党派層や棄権する人々は市民と言えるのでしょうか。

山崎 資本主義の話に戻りますが、縮小する経済の中で資本主義を使いまわす必要があると思います。例えば斎藤さんの本では、適度なサイズの集団において専門的な知見を用いつつ熟議によって意思決定をするという話がありました。でも集団として何を目指すのか、具体的に誰が何をするのか、といったような決めるべき事項は膨大にあるため、そうした意思決定の方法は現実的ではないと思います。

西川 市民概念を入れるとそういった究極の共和制を目指さざるを得ないようにも思います。

山崎 資本を生き物のようにイメージして、資本は必ず成長を求めなければいけないという前提をよく目にしますが、資本とは金持ちの財産に過ぎません。良い投資機会が無くなれば金持ちは投資をしないだけですから、縮小する経済と資本主義は共存可能だと思います。

マーケットを通じた分散型の意思決定を行うために、現実的には資本主義を用いるしかないと思います。上手に資本主義を使いまわすことは可能です。マルクスを語る若い世代が言う資本主義を丸ごと捨てるという話は、その話の前提としての資本へのイメージが正しくないように思います。資本主義を捨ててコモンズに移行することは現実的ではないでしょう。

茂木 すみません、経済の話題になる前に一つだけオタク的なことを言わせて下さい。内田さんが話していた里山に僕は関心があります。里山にしかいない生き物がいるという生物多様性の観点です。具体的には、クロオオアリに寄生するクロシジミ、牧草地に生息するオオウラギンヒョウモン、休耕田に生息するオオルリシジミ等です。こうした生物は手つかずの自然ではなく、人の手が適宜入ったところに生息しているのですが、絶滅危惧種となっています。なので里山の保全の問題はきわめて大きな問題だと考えています。

リモート参加(注:伊藤穣一氏、中島岳志氏)のお二人はどうですか。