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多義性と非合理性

キーノートスピーカー
千葉雅也(哲学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎

キーノートスピーチ:多義性と非合理性

千葉 東日本大震災以前のTwitterでは平和な意見交換が行われていましたが、震災以後は性質が変わりました。震災時に災害情報を共有する場となっただけでなく、長期化する自民党政権に対する批判が多く見られるような政治的な言論空間へと変わったのです。トランプが登場してからはTwitterが世界の政治を左右するメディアとなり、そうした変化に伴ってTwitterの状況が世知辛くなってきました。

僕はスタンスを変えずに日々の連想的な思い付きをツイートし続けていますが、そこに向けられる所謂クソリプと呼ばれる無理解な反応が増えてきました。これは単純に参加者が増えたことも要因だとは思います。かつてはインターネットを使用していたのは「意識の高い」一部の人達でしたが、スマホが全面的に普及して誰もが参加するようになり、とにかくみんな何かを言いたくてしょうがないのでしょう。

Twitterを見ていると「複雑な話が出来ない」という現代的問題が感じられます。ネット上の言論空間の大きな特徴は、言葉を文字通りに理解する人が多いことです。アイロニー、ユーモア、裏の意味を理解せず、書かれた言葉を機械みたいに文字通りにだけ読み、相手を茶化す行為が横行しています。

身近な例ですが、ずいぶん前に書いた僕のツイートがここ数日炎上しています。そのツイートは大学生に向けたツイートで、教員に対して書くメールの冒頭には「先生」と書くことが普通だというものです。最近は『白い巨塔』の影響なのか「教授」と付ける人もいますが、普通は先生のことを「教授」とは呼びません。なので、学生が僕宛に送るメールの冒頭は「千葉先生」、「千葉雅也先生」が唯一正しいですという趣旨のツイートをしました。そうしたら、「千葉先生」、「千葉雅也先生」と二つあるのに「唯一正しい」とは何事だ、哲学者はもっと厳密に言葉を使うものだと思っていた、といったリプライが来ました。馬鹿げています。馬鹿げたことに馬鹿げた返しをするなら、「○○先生」という言い方を唯一と言っているのであって、「千葉先生」と「千葉雅也先生」はorの関係なのだから、二つあったって良いわけです。これはくだらない例ですが、こういった現象がTwitterではしばしば起きています。

千葉雅也氏(新潮社提供)