茂木:今日のお話を伺っていて面白いなと思ったことなんですが、チャールズ・ダーウィンが『人間の由来』(原題:The Decent of Man)が書いたことで、それ以前の、まぁ今となっては非科学的とされている「神が人間を創造した」みたいな人間観が根底から揺るがされたわけですよね。今日のお話も、まさに先ほどロシアとウクライナの話をされていましたけど、民族みたいな概念を足元から崩すような、ダーウィンと並ぶほどの衝撃をもたらすものだったと思います。移民と交雑を繰り返して進んできた人類の歴史は、ある意味では非常にラブアンドピースですよね。西川さんがまさにおっしゃったように、マックス・プランクの領域横断的な研究実践は、それ自体が偉大な成果だと思うんですが、さらに政治学などの領域とも結びつけたら、これまでの領域国民国家などの概念がいっそう相対化されますよね。
西川:民族意識といったものがいかにナンセンスか、ということですよね。
茂木:そう思いますし、それはとても大事なことなんじゃないかと。ペーボさんもライナス・ポーリングみたいに、ノーベル平和賞も授与されてほしいなとさえ思いますね。本当にいい話だと思いました、ありがとうございました。
西川:歴史を振り返ると、たとえばネアンデルタール人の発見はドイツでなされたわけですが、それが起点となって「人類のルーツはドイツにあった」「ドイツ人こそが人類の祖だった」といった語りがなされるようになったわけですよね。他方でイギリスなんかでは、そういう原人の骨みたいなものが出てこないので、大捏造が起こるという……。なんというか、割と連続的な歴史が想定されてきたのが、交雑1つでこれだけ色んなことが起こってしまうということが明らかにされたのは、やはり歴史を考える上でも画期的だったと思います。
團:少し話は変わるんですが、この前ちょっと調べていて気になっていたことで、お酒が強い人と弱い人の分布というのがありまして。つまり東北の岩手あたりは比較的強くて、和歌山から近畿が比較的弱くて、また熊本あたりから鹿児島にかけて、それからもちろん沖縄は非常に強いというんですね。ただ、人ってかなり移動しているわけなのに不思議です。
西川:そうですね。
團:それなのに、ごく最近までそういう分布が残っているのは不思議に思うんですよね。
西川:似たような話で、昔から最も有名なものでいうと、乳糖耐性の話がありますね。つまり、農耕民族の私たちは、ミルクを大量に飲むとお腹を壊したり身体の調子を崩したりしてしまいますが、牧畜で暮らしてきた人たちは、しっかり乳糖耐性を備えているからそういうことにはならないんです。それが思いのほかちゃんと広がってるんですね。だから、僕らが思うよりははるかにしっかりと遺伝子は選択される。それはもうネアンデルタールのおかげで、そのあと3万年というオーダーで、しっかり変化が起こるということはあると思いますね。
あともう1つ、先ほどスピーチの中でペストの例をお見せしましたが、要するにたった1回の感染症の流行でゲノムの分布はあれだけ変わってしまいますから、変化は徐々に徐々に起こるものだとはあまり考えなくてよいかと思っています。特に人間の場合はもう1つ、脳の分化もものすごく進んでいますから、そういう意味で、ボールドウィン効果というんですが、選択自体を他のものが変えていくということもあります。そういう意味ではものすごくいろんなことが起こっているんですよね。今それらを実際に目の当たりにできるのはペーボさんのおかげだと感じますね。
團:これはちょっと愚問かもしれませんが、デニソーワ人というのはクロマニヨン人に近いんでしょうか?
西川:いや、デニソーワ人はネアンデルタール人に近いです。大前提として、ここで言っているホモ・サピエンスはクロマニヨン人と完全にイコールですね。デニソーワ人とネアンデルタール人が分岐したのはだいたい40万年前と言われています。
團:デニソーワ人が滅亡したことはどうしてわかるんでしょうか?
西川:要するに、それ以降骨が出てこないんですね。それから、ネアンデルタールは3万9000年出てこない。現代人の分布を見ると、やはりそれ以降にネアンデルタール人がいたという証拠は出てきません。ただ、デニソーワ人に関しては、パプアニューギニアの人のゲノムをもとに計算すると、どう見積もっても2万年前くらいまでいたのではないかとする説も上がっています。
團:今から2万年前まで、ということですよね。
西川:おっしゃるとおりです。ただ、やはりそれを裏付けるためには、ニューギニアとかあの辺りで骨がちゃんと見つからないといけなくて、最終的な結論が出るのはしばらく先になりそうです。
ただ、前から言われているようにあの辺りの地域は、フローレス原人にしてもジャワ原人にしてもそうですが、変わったものがたくさん出てくるんですね。ですから、やはりもう一度きちんと考古学ないし人類学をやりなおしていこうという話はあります。
波頭:山崎さんと神保さん、それぞれ何かございますか。
山崎:ペーボさんがやられているのと類似の研究というのは、日本では実際のところどの程度行われているんでしょうか?
西川:東大の太田博樹さんという、日本で初めて古代人のゲノムの研究で学位を取った若い方がいて、彼は幸いにもペーボさんのところで薫陶を受けることができて、それからも研究を続けていますね。それから、国立遺伝学研究所の斎藤成也さんも、縄文人のミトコンドリアの研究をずっとやられています。そういった方々のお弟子さんからこれからまた有望な若手研究者が出てくるんじゃないかと期待しています。
ただ、他方で切望しているのは、歴史学や考古学をやりたいという人がもっと出てきてほしいということですね。ペーボさんの研究チームは、まず考古学をやる、そのついでにゲノムも見ていくという構造になっています。
山崎:日本だと、研究者同士が個人的に仲良くすることは起こりうるとしても、異分野の人を組織的に集めて、ペーボさんたちに伍するような研究チームみたいなものを作ろうとした時の受け皿のようなものがないわけですよね。
西川:ただ、さっき島田さんがおっしゃったように、確かに研究チームみたいなものをカチッと作れるに越したことはない一方で、一緒に昼ごはんを食べるだけでも何かが起こる可能性はあると思うんです。要するに、科学者が自分の知らないことをたくさん知っている歴史畑の人とラフに会話するなかで「あれ、これもしかしてちょっとイケるんじゃないか?!」と思いつけば、そこから何かが始まるかもしれない。そういう環境が必要だと思うんですね。
山崎:やっぱり東大の学生は、一日に3回ぐらい一緒にお昼ご飯食べたらいいのかもしれないですね(笑)
西川:イギリスではお茶がそうですよね。ティータイムがその役割を果たしていた。だから、生物学者のシドニー・ブレナーも、イギリスの研究室からお茶の時間が失われてしまったのは寂しいといったことをよく言っていました。なんとかしないといけない話だと思いますね。
山崎:元々は大学がそういう役割を担っていたわけですよね。予算の縮小なんかで難しくなってしまっているということなんですかね。
波頭:それもありそうですし、あとはタコツボ化の中で自分の権威に固執する人が増えてきてしまっているという問題もありそうに思います。
神保:ペーボさんの研究がもたらしたブレイクスルーというのは、オーガナイザーとしていろいろなものの粋を集めて古代ゲノムを読んでみせたというところにあるわけですよね。
西川:そうですね。最初はエジプトのミイラから始まって、間違いを繰り返しながら、さまざまな方法を改良して208年のネアンデルタール人のミトコンドリアのゲノム、そして2010年の全ゲノム解読にまで至ったというところには、何より価値があったと言えます。
神保:それは発想や着眼点が優れていたということなんでしょうか?
西川:というよりはやはり、到底やれないだろうと思われていたことを一生懸命やったこと、そしてそれを研究手法のスタンダードにまで押し上げたことだと思います。篠田さんも太田さんも、ペーボさんと同時期に、似たようなことは思っていたわけです。要するに、PCRだけでは解析の手法として不十分だと。
最初に話したんですが、マイケル・クライトンの『ジュラシック・パーク』に書かれた、琥珀から1000万年前の恐竜のDNAを取り出すという手法を科学者が真似たりなんかして、みんな火がついたようにせっせと方法を模索したわけですね。しかし、そう事は簡単に運びません。ペーボさんたちの業績というのは、その困難だった解析を可能にする、いわばシステムを作り上げたことだと思います。たとえば医学で言えば、昔だったら骨髄移植という治療法を発明したことのみをもってノーベル賞が与えられたりといったことがあったわけですが、今はそこから、いろんなものを総合して患者さんの治療をやっていくというシステムのほうに目が向くようになっています。それと似たようなかたちで、古代ゲノムを調べ上げて人類の歩みについて明らかにするためのシステムを作り上げたことこそ、ぺーボさんたちの最も重要な業績ではないかと思いますね。
神保:それはやはり、マックス・プランク研究所が領域横断的な組織になっていたからなんでしょうか?
西川:いや、マックス・プランクにそういう研究所が設立されて加わっていったのは2000 年以降なんですよね。それについては、当時マックスプランク財団のプレジデントで、昨年までOIST(沖縄科学技術大学院大学)の学長を務めていた、ペーター・グルースさんの貢献が大きかったです。ドイツの場合、東側にもっとたくさん研究所を作らなくてはいけないといった流れの中で、面白い研究所がいっぱいできたんですよね。