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ゲノムが変える歴史学:ペーボさんが開けた歴史の扉

キーノートスピーカー
西川伸一(生命科学評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

古代人の身体機能を考える

古代ゲノムの読み解きに関してもう1つ重要なのは、古代人がどういう身体機能を有していたかが、ゲノムを見るといろいろな形でわかるという点です。昔はネアンデルタール人と言えば「野蛮人」のような姿でイメージされていて、博物館なんかにもそういったイメージを踏襲したかのような像が置いてありましたが、これがいかに間違っていたか、今では完全に明らかになっています。ゲノムをきちんと解析してみると、これまで人間が描いてきたイメージがいかにナンセンスかがよくわかるわけですね。

ところで、ネアンデルタール人に関しては大きな謎が2つあります。1つは、なぜ滅んでしまったのか。そしてもう1つは、言語を使っていたのかどうかです。

言語に関して言うと実は、変異があると吃音が生じたり言葉の流暢さが失われたりする遺伝子は、確かにあるんですね。たとえばFOXP2という遺伝子があるんですが、このFOXP2の型は人間とチンパンジーとで異なります。そこで多くの研究者が「FOXP2こそが人間に言語をもたらしている遺伝子なのではないか」ということで研究に取り組んだのですが、FOXP2のみによって言語が可能になっているという説は、現在では否定されています。1つの遺伝子だけで言語の発生を説明するのは、おそらく不可能と言っていいのだろうと思います。

ただし、そのような発想をもたらしたある種の成功事例というのも、過去にはありました。1つ面白い事例として、ウィリアムズ症候群の話があります。ウィリアムズ症候群とは、ある大きな遺伝子がスコンと抜け落ちてしまうことによって生じる知的障がいの一種です。この障がいを持つ人たちは、「天使の笑い」と呼ばれる特徴的な表情に象徴されるように、たいへん人懐っこいという特徴を有します。誰にでも付いていってしまうし、他人の真似をするのも上手です。ですから、ウィリアムズ症候群の子供に関して最も注意しなくてはならないのは、誘拐されやすいという点になります。自閉症の逆とでも思っていただけるといいでしょう。

面白いのは、もう15年ほど前の研究結果ですが、このウィリアムズ症候群をもたらす遺伝子の有無が、イヌとオオカミの差をもたらしていることが明らかになったことです。つまり、イヌがオオカミから分化する際に、ウィリアムズ症候群の子供たちが失った遺伝子の1つを、イヌもまた同じように失っているというわけです。こういう前例、いわば成功体験があったがゆえに、1つの遺伝子によって言語能力についても説明できるのではないかという期待が膨らんで、みながみなFOXP2のような遺伝子を調べたんですね。ただ、今となっては、話はそう簡単ではないということで、もう少し別の研究が主流になっています。

それで、現在具体的に何が行われているかというと、丹念にネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いが調べられています。たとえば、細胞が分裂して2つに分かれる時、それぞれ引っ張り合うのに必要な分裂糸ができるのを調節しているKIF18aという分子がありまして、それがホモ・サピエンスだけ他の種とちょっと違った形をしていることが、やはりペーボさんたちによって明らかにされています。ネアンデルタール人もチンパンジーもみんな同じで、ホモ・サピエンスだけ違うんですね。この部分に関して、ヒト(ホモ・サピエンス)のiPS細胞をネアンデルタール人型に変えたり、逆にネズミやチンパンジーをヒト型に変えたりしてみると、細胞分裂の速度に大きな差が見られます。つまり、ネアンデルタール人に比べてホモ・サピエンスのほうが、細胞分裂の速度が速いんですね。

それからもう1つ、NOVA1という、ネアンデルタール人までの人類にはなくてホモ・サピエンスにだけ遺伝子があります。この部分をネアンデルタール型に変えた人工の脳をiPS細胞を使って作ってヒト型と比較してみると、ヒト型のほうが脳のシワができやすい、といった論文が出されています。かなりバイアスのかかった書き方をされている論文なので、どう読むかが難しいところではあるんですが。とにかくこのように、ネアンデルタール人と現生人類の違いが1つ1つわかりつつあるので、iPS細胞で遺伝子レベルの操作を行うなどしてその違いを再現したら何が起こるか、といった研究が現在進みつつあります。

それともう1つ、これも面白い話で、「ネアンデルタール人のY染色体の謎」という話があります。というのも、ネアンデルタール人のゲノムがわかって一番みんなが驚いたのは、ミトコンドリアで比べるとネアンデルタール人とデニソーワ人は非常に近かったということで、彼らはだいたい30万年か40万年ほど前に分かれたと推定されています。ただ、面白いことに、Y染色体に限って言うと、ネアンデルタール人は非常にホモ・サピエンスに近いんですね。ネアンデルタール人はミトコンドリアや他の遺伝子で比べたらデニソーワ人に近いのに、なぜY染色体で見たときにはホモ・サピエンスに近いのか。これは大きな謎だったんですが、結局かなり古いいくつかのネアンデルタール人を調べてみてわかったのは、17万年前から10万年前頃の間に、ネアンデルタール人の側にホモ・サピエンスのオスの遺伝子が入ったということです。つまり、Y染色体がホモ・サピエンスのそれで置き換えられてしまった。それから、ネアンデルタールのY染色体が弱かったということですね。そういった背景から、Y染色体にだけ着目するとネアンデルタール人とホモ・サピエンスが近い、という不思議な事態が生まれたと説明されています。

そして最後にもう1つ、新型コロナウイルスに対する抵抗性の遺伝子について、重症化した人たちの遺伝子を大量に集めて調べるといったことが行われています。これによって、重症化をもたらす遺伝子の多型のうちの1つが、ネアンデルタール人由来だったということも、ペーボさんの研究で明らかになっています。こんなふうにして、ネアンデルタールのレガシーみたいなものが、思わぬかたちでポコッと出ることがあるんですね。

波頭:ネアンデルタール由来の遺伝子を持つ人たちは、どうして新型コロナに対して重症化しやすいんでしょうか?

西川:肺炎が悪化する時に、一種の自己免疫疾患のようなものが起こってしまうんですね。通常であれば、ウイルスが消えた時点で肺炎は治まっていくわけですが、それが自己免疫によってウイルスとは関係なくどんどん悪くなっていく。ほとんどの重症化肺炎は、間質性肺炎になっていく時にはそういうコースを辿りますね。

新型コロナに限らず、感染症というトピックは非常に面白いもので、実際に感染症についての古代ゲノムの研究も行われています。たとえば、ペスト。ヨーロッパで、紀元前5000~紀元前1000年くらいの地層から骨を拾ってきて、その遺伝子を調べた研究があるんですが、その頃にもペストにかかっている人がいて、ペスト菌も見つかります。そこから得られたゲノムの情報をもとに、5000年前のベスト菌を再構成してラットに感染させてみると、面白いことに悪性度がものすごく低いんですね。つまり、中世に黒死病があれだけひどい病気になったのは、その頃にペスト菌に起こった突然変異のためだということが、古代ゲノムのおかげで明らかになっています。

面白いのはそれだけではありません。というのも、ゲノムを解析してみることで、ペストで生き残った人がどの遺伝子によって生き残ることが可能だったのかがわかってしまうんです。

具体的には、デンマークのお墓にペストの前後で埋葬された人の遺伝子を調べた研究があります。デンマークではペストの流行中にだいたい人口の半数くらいの人が亡くなったそうなんですが、そうした状況下で生き残った人がペストに抵抗性のある何かしらの遺伝子を持っていたとすれば、その遺伝子を持っている人の割合は、ペスト前後で上がるはずです。実際に調べてみたところ、だいたい3つくらいの遺伝子の割合が、ペスト以前はおよそ40%くらいだったのが、ペスト後には70%くらいに上昇していたことがわかったそうです。言ってしまえば、これらの遺伝子がペストにおける生き残りに貢献したわけです。こういうことが、実際に実験せずとも古代ゲノムからわかるんですね。