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ゲノムが変える歴史学:ペーボさんが開けた歴史の扉

キーノートスピーカー
西川伸一(生命科学評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

團:ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、そんなに知能のレベルは変わらない一方、ホモ・サピエンスのほうが妄想を持ちやすいという話を読んだことがあります。ホモ・サピエンスにおいては、たとえば「山の向こうに何かがある」というような妄想がバイアスとして働いて、それが集団を結束せしめた一方で、ネアンデルタールのほうは比較的その時その時の状況で判断していたので、個々の結びつきが弱かったと。それゆえに、ネアンデルタール人は結束したホモ・サピエンスに攻め滅ぼされたという説については、西川先生はどう思われますか。

西川:ホモ・サピエンスの移動の歴史を振り返ってみると、30万年前にアフリカで誕生したのち、紀元前10万年頃にはエジプトからイスラエルの辺りに、そして紀元前6万5000年前頃にはインドからオーストラリアにまで至っています。にもかかわらず、北のほうには紀元前5万年以降になるまで一切行けていなかった。この間はホモ・サピエンスとネアンデルタール人がおそらく並存していて、交雑もあっただろうと言われていますが、そのバランスがある時点を境に一気に崩れるわけですね。そこからヨーロッパのほうにもホモ・サピエンスが入り込んでいって、その後紀元前3万9000年頃までに、たった1万年の間に、ネアンデルタール人は滅んでしまいます。

だから、何かしらの変化が確かにこの時期起こったのではないかとは考えられています。多くの研究者が期待しているのは、言語面での変化ですね。團さんがおっしゃるように、妄想を持ちやすいといった傾向もあったかもしれませんが、やはりコミュニケーションにおいてシンボルを用いることができるようになった点が大きいのではないかとはよく言われます。

波頭:単語の数もずいぶん違っていますよね。

西川:シンボルを介したコミュニケーションができるようになると、知識の蓄積ができるし、それを後世に伝えることもできるようになりますからね。経験を、同世代の中だけでなく、代が替わっても共有できるから、長いスパンで物事を考えられるようになるわけですよね。

その点に関しては、ジャレド・ダイヤモンドが石器の比較を通して考察しています。つまり、旧人から直立原人の頃は、石をカットして形がある程度できてきたものを道具として使っていく。それがネアンデルタール人くらいになると、リタッチといって、カットした石の形をちょっときれいにして使っていきます。ところが、クロマニヨン人が用いていたような「アシュアリアン」と呼ばれるタイプの石器になると、本当にきれいな形をしている、全体の工程を構想できないと到底作れないようなものになってきます。つまり、ある程度のスパンで物事を思考する力が、この頃には獲得されていただろう、といったことが推測できるわけですね。

そういうふうに、石器の形一つからいろいろなことを考える研究者たちも少なからずいて、たくさん論文を書いているので、そこでなされた考察についてのゲノムの観点からする裏付けが今後進んでいくと思います。ネアンデルタールとホモ・サピエンスの全ゲノムのリスト化はいままさに進行しているので、もちろんそれをすぐ変形できるとは思いませんが、しかし全部置き換えてみる価値は大いにある私は思っています。

波頭:ありがとうございました。人類史を根底的に書き換えるペーボさんの研究はもちろんですが、多彩な質問に対して完璧に答えてくださる西川先生の圧倒的な知識と解説にも圧倒された素晴らしいディスカッションでした。今後日本でも学術や文化における「交雑」が進んで、新たなものが生まれていくことに期待したいですね。

 

※第60回日本構想フォーラムには、本会のメンバーである中島岳志氏(政治学者)もオンラインにて参加しておりましたが、通信環境の不都合により発言の録音が残っておらず、本報告書からはやりとりの内容をご本人の許諾を得たうえでカットさせていただきました。