最初に、歴史がゲノムから読み解けるとはどういうことなのかについて、簡単にお話しします。
たとえば、アフリカの人と中東の人の間に子供ができたとします。そうすると、その子供の生殖臓器の中で、お父さんとお母さんの遺伝子が交換されます。これがいわゆる「組み替え」です。子孫をみんな集めてきてDNAを調べれば、この組み替えがどのように進んだかを明らかにすることができます。ただ、すべての人のゲノムを、しかも古代の人のものまで取ってきてくることは不可能ですから、基本的には現在生きている人のゲノムから計算して推定することになります。それでも、たとえば私たち日本人にどのくらいモンゴルに由来する血が入っているか、といったことが、相当の高い精度でわかるようになっています。
これはかなり昔、まだ古代ゲノムがわからなかった頃の話ですが、たとえばヨーロッパから日本までの範囲で今生きている人のDNAを大量に集めて解析して、モンゴルの人のDNAがいつ頃このあたりに入ってきたか、といったことを計算するんですね。そうすると、だいたい紀元1200年くらいの頃に、シャープにゲノムが入っていることがわかります。これはもう間違いなく、チンギス=ハーンの大遠征の名残です。言ってみれば、どのくらいの範囲で遠征が行われたかといったことが、皆さんのゲノムの中にすべて書き込まれているんですね。とはいえ、今生きている人から取ったデータだけで完全に正確な結論を出すことは不可能ですから、もう少し遡った古い時代のデータがあると、本当に人間の交流と移動を計算することができます。
こうした研究は主にヨーロッパで徹底的な形で進んでいますが、日本でも研究を手がけておられる方がいます。一番有名なのは、東京大学の太田博樹さんや、国立科学博物館館長の篠田謙一さんたちが行っておられる、縄文人のゲノムについての研究でしょう。このお二人は特に縄文人の全ゲノムシーケンス解析を進められた業績で有名で、太田さんはデンマークの研究者と一緒に、その縄文人のゲノムと東南アジアの人のゲノムとを比較した、たいへん面白い論文を出しておられます。そこで書かれていることには、8000年前のラオスで生きていた人の骨と縄文人の骨とで、ゲノムがだいたい一致したと言います。つまり、縄文人のルーツは突き詰めると南、特に東南アジアであろうということがわかるわけです。もちろん、東アジアの人たちとの交雑をいろいろな形で繰り返しながら移動は進むはずですし、その過程を知ろうと思ったら、新たに骨を見つけてきて分析していく必要があるわけですが。
それから、わかりやすい例をもう一つ挙げます。日本人の起源は、だいたい縄文・弥生と言われていますね。ただ、金沢大学とダブリンのトリニティーカレッジの人たちの共同研究で、古墳時代にもそれまでとはまた違った人たちが東アジアから入ってきて、そのタイミングにおいて日本人のゲノムが急激に変化した、という議論が提示されています。つまり、古墳時代の人の骨を調べてみると、弥生時代に起こったゲノムの変化に貢献した東アジア人とは別の、地域的にはもっと北の満洲方面から来た人たちだということがわかるというんですね。この問題に関しては、たとえば先ほどの篠田さんが「そんなことは絶対にありえない」と言っておられるなどと、専門家の間でも喧々諤々議論がなされているところです。古墳時代のゲノムについては使用可能なデータがあまりなく、それで研究が進んでいないところもあるんですが、やがて分析が進んでいけば、実際に満洲の人たちが弥生人を征服して古墳時代を作るなり、あるいは弥生人に自然と溶け込んで古墳時代の礎を成すなりしたのかどうかも判明するでしょう。
このように、古い時代のゲノムを調べることは非常に大切ですが、それを可能にしたのはペーボさんのたいへん大きな功績の1つと言えます。