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ゲノムが変える歴史学:ペーボさんが開けた歴史の扉

キーノートスピーカー
西川伸一(生命科学評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

ディスカッション

波頭:ありがとうございました。本当に壮大で、かつメッセージ性のある素晴らしいプレゼンテーションでした。人類がいろんな交雑を経て、いろんな形質を獲得していくことを通して強靭になってきたように、学問も越境的な交流を通して発展していく必要があるというメッセージには、たいへん心打たれるものがありましたね。

西川:やはり「とりあえずやってみよう」というところから始まっていくんですよね。もちろん財政的にゆとりがあるからできるのかもしれない話ではあるんですが。

山崎:こういう学際的な取り組みに、経済学って呼ばれないんですよね(一同笑)

波頭:結局、ギリシャ神話や「トロイの木馬」みたいな歴史の中で語り継がれてきた話を、まさにゲノムサイエンスが裏付けたっていうことですよね。

西川:やはり火のないところに煙は立たないという話で、何とか探していけるんですよね。半分はこじつけになってしまうと思うんですが。しかし、意義のある発見も少なくないと思います。

島田:言語に対してもゲノムの分析も応用できるという話に関してですが、インド=ヨーロッパ語族が広く分布しているなかで、言語学の空白地帯みたいな言語があるじゃないですか。たとえばバスク語とか、あとはフィンランド語もそうですね。要するに、飛び地みたいな形で分布しているああいうものの扱いをどうするか。おそらくは民族の移動がそこだけピンポイントに発生したということだろうと思うんですが。

あともう1つ、言語の多様性という点で言うと、まずインドはものすごくたくさんありますよね。あとはアフリカもそうですし、シベリアも、それから今回のお話にも出てきたニューギニアなんかもそうですね。そうした言語多様性がまだ確保されているような地域では、摩訶不思議な交雑があったとか、古い人類が最後のサンクチュアリみたいに生き残ったとかいうことの痕跡を見出しうる、という理解でいいんですかね。

西川:時間の関係上スピーチの中では話しませんでしたが、トルコとアルメニアの間にセム語の大きな帝国があったんですね。つまり、交雑を妨げる文化というのもやはりあって、そういう要因によって言語が残っていくということもあると思います。

島田さんがおっしゃったアフリカにせよインドにせよ、今こそ詳しく見ていくべき時期なんだと思います。もちろん発掘して古いゲノムを取ってこられるに越したことはないものの、今の人のゲノムをきちんと読むだけでもかなり多くのことがわかります。少なくともそれをきちんとやって、言語の分布などと重ね合わせながらマッピングをしていけるとよいだろうと思いますね。

島田:農耕なり牧畜なり、特定の文化の伝播とともにゲノムが広がって、ある種の系統が形作られていく。それはつまり、紀元前数千年といった頃からすでにかなり活発な人の動きがあったということですよね。そしてそれを前提として今まさに研究が進んでいるわけですね。

西川:そうだと思います。やはり相当大規模にやっていますよね。

付け加えて言うと、史料に書いてあることをもう一度後付けていくイメージで、ゲノムサイエンスをやりはじめる人が増えてきたんですね。「ここの言語はどういうふうになっているのか?」といったはっきりしたリサーチクエスチョンを持って、もう 1回骨を調べなおしてみたりですね。そういう研究が最近になってものすごく出てきたことは重要だし、一番面白いポイントだと個人的には感じています。

波頭:今日のお話の大事な点の1つは、言語をはじめとするいろんな文化の特徴の結びつきを、方法論としてゲノムで説明していけるということだったと思うんですが。

西川:言語もですし、言語以外もそうですね。

波頭:それで、チンパンジーとボノボって、形質というか性格が全然違いますよね。それと同じように人類、つまりホモ・サピエンスにおいても、攻撃的な文化あるいは気質と、そうじゃない融和的な気質がそれぞれに存在しているように思うんですが、それらが共存に向かうかたちで変化は進んでいると思いますか?

西川:難しい問題ですね。やはりそういう問題がプライマトロジー(サル学)で大事というのは、まさにボノボとチンパンジーの違いを見ていても思いますよね。ただもちろん、ボノボでも他のサルを殺して食べることはありますし、チンパンジーでも強いオスだけが完全に支配するという、ゴリラみたいな世界ではありません。やはり似ているところもあるし、似ていないところもある。ただやはり、ゴリラとボノボに関してみんなが一番期待しているのは、いま波頭さんがおっしゃったように、ある種の自然倫理みたいなものが、ボノボとチンパンジーの差で説明できるのかといったところですよね。

ボノボ研究の第一人者といえば、フランス・ドゥ・ヴァールさんというオランダ生まれの研究者ですが、彼の面白い著作にThe Bonobo And The Atheist(直訳すると『ボノボと無神論者』、邦訳のタイトルは『道徳性の起源』)という本があります。彼なんかは要するに、宗教というものをはっきりと否定したうえで、倫理がどのようにして生まれるかという話として、ボノボとチンパンジーの比較研究をやっていますよね。

波頭:言語だけじゃなくて、たとえばまったく自分たちと異質の部族や民族と相対した時に、攻撃が起きるか交雑が起きるか、つまり戦うか融和するかいずれを選択するかって、すごく基本的な形質だと思うんです。何万年という歴史を振り返ってみた時に、結局は融和的な民族や部族は滅ぼされる運命にあったのか、それとも意外にボノボとチンパンジーみたいにうまく住み分けできるのか、どちらかというのが気になります。

西川:それに関して言うと、やはりリソースなどの問題も絶対にあるんですよね。東南アジアの古代ゲノムのデータを見ていると、やはりヤムナのようにある特定のものがどんどん順番に入っていったというよりは、小さな民族がものすごく頻回に交雑を繰り返しているというか、少なくとも平和的な交雑の歴史があったのだろうという想像をさせるようなゲノムのパターンが見られるんですね。ただそこにはやはり、たとえば食べるものに困らないといった要因が関わっていたのだろうと思います。あと、東南アジアにはヒンドゥーの人たちがずっと入ってきているわけですが、そのヒンドゥーの人たちの寛容さといった要因も関わっているのではないかとは思いますね。

島田:あと、食事のこともあるんでしょうね。たとえば、ゴリラは基本的にベジタリアンだから、脅しはするけどそんなに攻撃的ではないですよね。そういった食事のスタイルの違いなんかも多少は関わるのかもしれません。ただ、攻撃的な特質と平和を好む特質とが交雑すれば、そこから生まれてくるのは両方の末裔ということになるわけですよね。日本人なんか特にそうじゃないですか。なんとなく「大和はずっと平和的だ」というような神話があるけれども、別にそういうわけでもない。

西川:それで言うと、古墳時代のゲノムを北部と中部をきっちり分けて計算できたとしたら、その時代にアグレッシブな民族がバッと入ってきて、日本人のゲノムパターンが大きく変わったということが判明しないとも限らないとは思います。