波頭 2枚のレジュメに、今日の話の流れが書いてありますが、タイトルは「リーダーシップ構造論」です。議事次第に出ている私の肩書きは経済評論家と書いていただいていますが、生業は経営コンサルタントで、企業を強くして発展させることを仕事にしております。
そのような分野の中で、これは経済とも少し関わりがあると思いますが、リーダーシップ論というテーマがこの5年ぐらいすごくウェートが高まってきています。リーダーシップについて少し自分で勉強したところ、これは人にお話し申し上げられることがあるのではないかという発見もあって、リーダーシップ構造論というものをいま本で書いています。このレジュメは、その骨子のようなものです。
今日は、もともと私の同僚の南場 さんがいらっしゃいますし、リーダーシップというと心理学の非常に大きいテーマで、今回勉強した中でも心理学系の本を何十冊か読みますが、そちらの大家の和田 先生もいらっしゃるし、話しにくいのは話しにくいんですけれども、それでもこういう新しいリーダーシップ論がありますよというのをお話しします。ただ、結構乱暴なところもあるので、あとでいろいろ突っ込んでいただいたりしながら進めたいと思います。では、早速入ります。
執行力の鍵になるのがリーダーシップです。私がコンサルタントを始めたのは1980年代です。南場さんもそうですが、日本で今のような形で経営コンサルティングが成立したのが1980年代ですが、これは日本だけではありません。第二次オイルショックの後で世界的に高度経済成長が止まってしまって、その中で企業がどうやって成長するかということでもがいている中に、合理的な経営戦略をやるといいのではないかということで、1980年代に戦略論自体が高まってきました。そこで、1980年代は戦略の時代と言われています。ご承知の方もいらっしゃるかもわかりませんが、マイケル・ポーターとか、フィリップ・コトラーとか、戦略の神様、マーケティングの神様と言われる人が出てきて活躍した時代です。私がいたマッキンゼーも、この戦略の時代、ちょうど1980年代から本格的に開始しました。
1980年代が終わって、みんながある程度戦略をわかるようになったら、今度は企業の競争力は何によって差がつくか。1980年代は、柔道で言うと技を身につける時代でした。技を知らない素人さんに一本背負いや巴投げをかけたら、ポンポン飛んでいく。ですから、いまから見れば非常にナイーブでプリミティブな戦略であっても、ポンポン技が決まった時代が1980年代です。
1980年代いっぱいでそれがだんだん広がって、浸透していって、わざわざコンサルタントに高いフィーを払わなくても、企業がほとんど自分で戦略をつくれるようになった。コンサルタントもそんなに珍しいものではなくなり、「こうやったら戦略はできますよね」ということが一般的に行き渡ったのが1980年代です。
では、1990年代はどうなったのか。それこそさっきの柔道と一緒です。技を覚えた同士になったら、戦略だけでは一本は決まらない。では何で決まるのかというと、腕力です。実行力が勝負を決するようになった。そのとき、われわれの世界では、戦略の時代から組織の時代、実行力の時代に入ったという認識がありました。合理的に動ける組織をいかにつくるか。それは組織骨格であったり、制度設計であったり、企業組織が動くいろいろなしくみをきちんと設計してつくり上げていくということでした。カンパニー制が広がったり、成果主義型の人事制度・評価制度が始まったり、分社化が進んだり、場合によっては実行力の一つとして、スケールを大きくするためのM&Aというものが起きたりして、戦略自体よりも、組織や制度の側にメインのテーマが移った時代が1990年代です。
2000年を越えて今世紀になってからは、実行力の中でも特に、トップとかリーダーシップというものが問われる時代になってきたように思います。同じような戦略をつくって、同じような組織制度を設計することは、まさに学習可能なことです。学者さんはよく「imitable」と言うんですが、真似することが可能で、ノウハウとして習得できるものです。しかし、企業が動くときには、戦略をつくって組織を書けば、それで高いレベルでの実行力が実現できるのかいうと、最終的には人をどうやって動かすか、組織集団をどうやって動かすかということですので、評価制度だ、報酬制度だというだけでみんなが同じように動くかというとなかなかそうはいかない。そのなかで最大の鍵――執行力の唯一とは言いませんが――がトップのリーダーシップである、ということになってきています。執行力の鍵になるのがリーダーシップである、というのはそういう意味です。