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転換期を迎えた4つの方法論:揺り戻しかアウフヘーベンか

キーノートスピーカー
波頭亮(評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

神保 広告ベースの多くのメディアは、常にその時々の市場原理で収益を多く上げている会社が主なお客さんになります。

一見、視聴者がお客さんと勘違いしやすいのですが、視聴者はスポンサーに提供している商品です。そのように、報道と広告ベースのメディアでは視聴者が逆転しています。売上好調な会社が常にマスコミのスポンサーである点も、メディアがBIを報じない一つの理由でしょう。

振り返ると、インターネットの黎明期には、誰もが自由に発信者になれるという、発信の⺠主化が盛んに語られていました。しかし、それは建前にすぎませんでした。今やインターネットの報道も、インターネットの空間同様、資本ゲームの場となってしまっています。

結局、ネットでの発信も、クオリティで選ばれるのではなく、お金を持っている人が支配してしまう構図です。ネットの社会になっても、ゲームは何も変わっていないのです。

では、どうすればこの資本ゲームを変えられるのか。変化へのドアになりうるのが、やはりBIです。今や日本では生活に困窮している人がどんどん増えています。しかし、BIの議論はマスコミからはほとんど出てこない状況です。

仮に我々ネットのメディア側にお金がたくさんあったら、資本ゲームでないきちっとした報道ができるのかというと、実はそう簡単にはいきません。先ほど波頭さんが教育の重要性に言及しましたが、こと日本のジャーナリズムに関しては、そもそも国内では学ぶ学校すらなく、また先ほど言った既得権によってジャーナリズムの公共性もそもそも機能していません。

私はコロンビア大学のジャーナリズム大学院修了ですが、以前は早稲田大学大学院のジャーナリズムコースで客員教授をしていました。この修士コースは半分くらいが中国からの留学生ですが、残りの日本人学生は学部卒のときマスコミ就職に失敗して敗者復活のために入った人が多い。いわばマスコミ就職予備校のようなっていて、学生は入った年の秋からもう就活をしています。

既存メディアへの就活の面接で、「神保先生からジャーナリズムの公共性を叩き込まれました」といったら、即落ちるという話です(笑)。だから、真面目にジャーナリズムを教えても、悪いことをしているみたいで申し訳なくなったので、教員は辞めました。

日本でのジャーナリスト育成の仕組みというと、新卒で新聞社かNHKか通信社に入って、地方の支局でベタ記事を書いて真っ赤に原稿を直されるところから始まり、そこそこ頭角を現した人が5年くらいで大都市に上がってくる形です。

一方、アメリカはその選別を市場原理でやっています。私は1986年のコロンビア大学ジャーナリズム大学院修了でしたが、86人のうちニューヨークのマスコミに就職できたのは1人か2人だけです。

残りの人は、聞いたこともないような地方の5万部クラスの新聞社に飛び散っていく。そこで、そこそこ頭角を現わすと、10年後くらいにシカゴやアトランタあたりの数十万部クラスの新聞まで上がってくるという構図です。

名門とされるコロンビアの大学院でも半分くらいの人が途中でメディアから脱落していく。このように厳しい競争が行われているから、曲がりなりにもニューヨークやワシントンでジャーナリストをやっている人は、実力があるか、あるいは上司に取り入ったか、手法は様々ですが市場原理で決まります。

波頭 頭角を現わすジャーナリストとは、資本と政治権力の踏み絵を踏んだ人か、それとも俗化せず純粋さを保っている人、どちらですか?

神保 地方紙レベルだと、広告依存度は高くないから、踏み絵はまずありませんが、大きくなるにつれ媒体によって踏み絵はあります。

一方、FOXニュースのように、ネトウヨ的なポピュリズム(保守的、共和党寄り)のメディアもあります。メディアは権力チェックが仕事で、まだ希少性があった時代だと、左翼的になるのが普通ですが、すると右側(右翼、保守)はまるまる空いていることになります。

ビジネスマインドがある人だったら、この右側のジャーナリズムこそ美味しい(儲かる)ということが瞬間にわかります。「なんでわざわざメディアに入って権力寄りなのか?」と普通は思いますが、それをあえて辞さない人たちがいると、実業家ルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションみたいメディアグループができます。

新聞ではニューヨーク・ポストとウォール・ストリート・ジャーナルが、放送局ではFOXニュースがニューズ・コープ傘下ですが、広告主がいっぱいいるため、今やFOXニュースは4大ネットワークに成⻑してしまっています。

複数の新聞社や放送局を傘下にもつメディアグループを「マルチシステムオペレーター」と言いますが、この「マルチシステムオペレーター」の傘下に入ると、どうしても記者も企業論理の方に流れていきます。

波頭 暗い話ですが、メディアはもうどの既存メディアも、ネットのメディアも、資本側に流れる時代になってしまっているのかもしれません。

ここまで前回、今回と、みなさんそれぞれの問題提起のプレゼンを終えて、その解決策を見いだすことがことほど困難な状況にあることが共有できたと思います。

経済合理性にすべて飲み込まれて、人文知を含めた教養主義的なものの希薄化こそが現代という時代の宿命なのでしょう。まさに、教養主義、道徳を取り戻す切り札がなくなってしまったという厳しい状況になりましたが、光明が見つかるまで諦めずに考えるしかありません。