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日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

ネットメディアはいつ育つのか

神保 私が主宰する「ビデオニュース・ドットコム」以外にも、ネットメディアでジャーナリズムをやっている会社はたくさんあるのですが、一定の節度や尊敬を集められるネットメディアがまだほとんど存在しない。そこが大きな弱点になっています。

ザ・ハフィントンポスト・ジャパンは朝日新聞社がやっていて、バズフィード・ジャパンはヤフージャパンが運営していたのですが、その2つが合併してしまいました。だから、その2つに関してはあまり新しいメディアが生まれたという印象はありません。他に経済系や医療系などでいくつか上手くいっているメディアはありますが、一般的な報道メディアで独立してうまくいっているところはほとんどない。もっともネットメディアで働く記者のほとんどが、ほとんどジャーナリスト・トレーニングを受けたことがない人たちなので、危ういのは無理もないところです。

では、ビデオニュース・ドットコムではちゃんと若手ジャーナリストを育てられるのか。そう言われると、それほど胸を張ってイェスと言えるような状況ではありません。もう20年もやっていますが、ようやく一人か二人育ち始めているといったところで、ジャーナリストを育成していくことの大変さを日々実感しています。

私はアメリカでジャーナリズム教育を受けてきましたし、既存のメディアにも所属していたことに加え、もう30年以上も現場の記者をやっています。その私が直接教えていても中々簡単に記者を育てることはできないので、元々ジャーナリスト経験を積んだ記者がいないネットメディアが、新たにジャーナリストを育てていくのはもっと大変に違いありません。でも、それを手探りでやっていくしかない。

既存メディアの記者がネットメディアに移ってくるようになるにはまだ少し時間がかかるでしょう。まだ条件的にも格差がありますし、既存のメディアの記者たちは記者クラブ外の記者たちがどんな苦労を強いられているかを目の当たりにしているので、さすがに自分はそれはやりたくないと感じているのではないでしょうか。

それに既存メディアの記者は最低限のジャーナリスト・トレーニングを積んでいるので、そういう人が来てくれると助かると思われるかもれませんが、既存のメディアの記者クラブ的なノウハウは今日の新しいメディア環境ではほとんど通用しません。そもそもうちは取材ができて、映像が撮れて、記事が書けて、編集ができないと話にならないので、既存のメディアの記者では生産性が低すぎて半分の給料を払う価値もありません。

ジャーナリズム魂は生きているか

波頭 既存メディア側に、今もジャーナリズム魂を持っているという人はいますか?

神保 既存メディアの経営幹部は、日本では真のジャーナリズムはできないとわかっているので、揉めないために、そもそもジャーナリズム魂を持っている人は採用しないようになっているようです。特にテレビ局はジャーナリズム魂の人はまず採用しません。

90年代のバブル崩壊後から、日本の新聞社、テレビ局の報道姿勢は、ほぼ完全に数字、売上路線に軸足を移しています。それ以前は、本来のジャーナリズムの建前がそれなりに幅をきかせていましたが、いまはもう残っていません。

もし私が5大紙に新卒入社していたとしたら、1984年入社になります。我々の世代では「本来の報道とはこうだが、いまはしょうがなくこうやっている」という理解で報道をやっている人が圧倒的に多いと思います。

90年代の中頃からテレビは一気に数字至上主義に舵を切りますが、その頃、上の世代から「報道はそうじゃないだろう」みたいに絡まれた経験がある人は多いはずです。

しかし、いま報道の現場にいる人は、もう建前を完全に放棄した状態になってから働き始めた人ばかりなので、ジャーナリズム魂自体を知りません。古い世代から報道の話、ジャーナリスト魂を聞くと、もはや歴史上の話のように理解するようです。

波頭 最近は報道だけでなく司法の世界も魂が死にかけている。本当に危ない時代になってきたと感じています。

アメリカは市場原理で修正される

西川 アメリカで地方はメディアデザート、つまり報道機関がなくなってしまっているという話でしたが、SNSなど、その穴を埋める機能はないのでしょうか。

神保 確かにアメリカでは10万部前後の中堅新聞がほぼ壊滅状態になってしまいましたが、その一方で最近は投資家のウォーレン・バフェットが小さい新聞社を20社も買収しています。

バフェットは小さな新聞社はビジネス的に十分な魅力があると見ているようです。「ローカルにはニュースのニーズが一定数あるから、配達コストを抑えれば小さい新聞社は生き残れる。しかし、中途半端な規模の新聞社は生き残れない」とバフェットは語っています。

実際、2000年代に地方紙は大幅に淘汰されましたが、2015年あたりに廃刊ラッシュはとりあえずおさまり、今は一頃の減少傾向が横ばいになっているようです。もしかするとバフェットが言うような小さなローカルジャーナリズムは生き残るかもしれません。まだその結論は出ていませんが。

アメリカでも日本でも新聞は、元々は伝送路の希少性に依存していて、インターネットの登場でこれが崩れたのは同じです。しかし、日本のメディアは様々な利権や特権に護られているため、アメリカのように簡単には破綻しません。一方、アメリカは利権がない(記者クラブがない、再販もない、クロスオーナーシップは禁止されている)ため、伝送路の希少性というバリアが破られた途端に、市場原理の洗礼を受け、既に多くのメディアが破綻してしまっています。

しかし、逆の見方をすれば、アメリカは早く多くの新聞が潰れたため、すでに次のフェーズに入っている。これに対して日本は古いフェーズから抜けられないでいると見ることもできます。