神保 『THE END OF FOOD(食の終焉)』(2012年、ダイヤモンド社)という本を訳したのですが、本書は先進国の食があらゆる過程で崩壊している様子を克明に取材した力作です。
「食」がすでに崩壊してしまっている、崩壊させた本当の首謀者は誰なのかと突き止めていくのですが、すると最後に驚くような結末が出てくる。
まず農家から叩き買いしているようなビジネスから始まり、様々な搾取の構造があって、最後は最大手流通業者のウォルマートが出てくる。では、ウォルマートは誰の奴隷なのか? 「ウォルマートはあなた(つまり読者)の奴隷です」。それが最後の結論です。
「あなたは、いつも1円でも安い商品を探して買っている。あなたはフードマイル、オーガニックの定義が換骨奪胎されていることを考えたことはあるのか」。そう著者は我々に問いかけています。
この話と政治には似たような構造があるのではないでしょうか。政治も、自分事として考えた瞬間に様々なソリューションが見えてくるが、日本人はどうしてもそれができない。
その理由は、民主主義が与えられたもので、自ら市民革命を起こした経験をしていないからでしょう。いわば日本は、棚ボタ民主主義ということです。
日本は市民が権力を勝ち取ったことがないともよく言われます。私はアメリカ暮らしが長いのですが、一般的な教育レベルだけを比べると明らかに日本人のほうが高い。知的な難しい話ができる人も日本のほうが圧倒的に多いのに、政治に対して「それはおかしい」と意見を言う人が多いのはアメリカのほうです。
たとえば、アメリカのテレビのドラマの中に、政治を市民が批判するちょっとした場面があったりするが、日本のドラマだと、『科捜研の女』のように警察が正義の味方というものが多くあったりします。その理由は、公衆(市民)が社会の主体であるというヨーロッパでは当たり前の認識がないからだと思います。
日本では市民が社会の主体であるという話が法律を学んだ人にも知られていません。なので、この話をしても、多くの日本人がにわかには公衆が社会の主体であることを受け入れらないのです。
波頭 国家権力自体も、あなた(市民)が選んだのだから、それが腐敗していたら、それはあなたの責任であるという教育がなされてない、ということですね。先ほどの『食の終焉』の結末とも同じ話ですが。
日本人は、おかみ(御上=政府)と自分は別物だと思っている。おかみは自分とは独立して存在しており、支配するもの、自分は陳情するもの、というのが日本人の古来からの肌感覚です。
おかみとは、自分が作るものだという意識を社会に根付かせることが日本にも必要なのでしょう。民主主義とは、おかみを自分たちで作るのだから、国民にとって、それはとても大変な制度なのだということから始めないといけません。
神保 日本の政治について言うと、やはりアメリカのように政策立案をする大手シンクタンクが乏しいことが問題の根底にあるのでしょう。
アメリカは政策立案するシンクタンクが無限にあって、かつ民主党、共和党の中にいるそれぞれの立場の議員に対して寄付や提言をしている団体も非常に多い。
しかし、日本ではまず最大のシンクタンクとして霞ヶ関の官僚機構というのがあって、あとはシンクタンクというと主だったものとしては三菱総研など企業系のものが数社ある程度です。すると、出てくる法律案はすべて官僚側、あるいは大企業側から見てメリットがあるものばかりになる。たとえば、今回のデジタル政府に関する法案も、イノベーションの促進と人権保護の二律背反の中で日本はどうするのかを選択した側面がありますが、そういう選択になると、霞ヶ関や企業に任せれば人権は蔑ろになるのが目に見えています。
官邸の一強とか、官邸への権限の集中などと言われて久しいですが、政治家に政策は作れません。結局、今の政治家に政治を牛耳る実力はまったくありませんので、日本の政治は官僚支配に委ねるしか道がありません。ただ、いたずらに官邸に権限を集中させたために、官邸官僚や内閣府官僚支配になってしまい、下手をすると以前よりも悪くなってしまった。彼らは能力的には霞ヶ関の本流よりも劣っている場合が多い一方で、政治に対する変な忖度だけはやたらと働くからです。
今回、コロナ禍の日本の政治を取材して改めて感じたことは、政治は厚労省と国立感染症研究所(感染研)の癒着構造や日本医師会の利権にさえ、手を突っ込むことができず、結果的に最後までPCR検査も増やすことができないし、一般病床のコロナ病床への転換も推し進めることもできなかった。
医師会について言えば、1980年代に中曽根政権が日本版のGP(General Practitioner=総合診療専門医)制度を導入しようとして、医師会に潰されたことがありました。80年代に日本の医療費がこのままだと青天井になるとわかったとき、一部の良識派の議員がこのイギリスのGPを導入しようとしました。これはいわゆる家庭医と言われるもので、基礎医療費が全額税金で賄われているイギリスでは、住民はもれなく専属のGPが割り当てられ、GPは割り当てられた患者数に応じて自動的に報酬を受け取る仕組みを作った。これは患者を診ても診なくても同じ金額が支払われるというもので、医者にしてみれば自分の患者が健康になればなるほど自分の負担が減る制度なわけです。診ても診なくても報酬は同じなのだから、診なくていいに越したことはない。
逆に日本の場合は、患者が不健康になればなるほど医者は儲かる仕組みなので、高齢化が進めば医療費負担がパンクすることは必至だった。そこで日本でも「家庭医」という名称で、イギリスのGPに似た制度を導入しようとしたのですが、日本医師会が潰してしまった。
皆保険の崩壊に繋がるという理由でしたが、実際はGPの資格を取るために医者は総合医療の広い科目を勉強しないといけない。その負担が大きいことが、医師会が反対した主な理由だったようです。
ところが昨年から新型コロナの感染が蔓延して、かかりつけ医という言葉がニュースでもよくでてくるようになりましたね。しかし、日本では「家庭医」という言葉は使えない。かかりつけ医は単に患者が普段行っている開業医のことですが、イギリスのGPにおける家庭医とは正式な制度の名称だからです。せっかく潰した家庭医をまた蒸し返すことはならんというわけです。
西川 実際、対GDPの医療費で見ると、イギリスは7%程度で収まっていますね。
神保 イギリスの医療費は日本の数分の一というレベルです。GPが普及しているから当然そうなります。
一方でイギリスではGPに診てもらうための待ち時間が長いことなどへの不満を言う人がいるようです。確かに日本ではどこにいてもすぐに医師に診てもらうことができます。でも、そこに医療費負担とギブ・アンド・テイクがあるわけですね。
西川 基本的に病気にしないという方針をイギリスでは徹底的にやっています。たとえば、初めてGPの家庭医に行くと、最初に測った血圧の数字は国の患者データベースに入ります。心臓疾患になった人の初診時の血圧も家庭医は参照できる。そうやって医療費を減らしています。
一方アメリカの医療費は青天井のように見えますが、保険会社が抑制している。掛け金を払う人が病気にならないよう働きかけることを徹底的にやっています。