Report 活動報告詳細

HOME>活動報告一覧>日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

記者クラブという弊害

日本の場合、報道機関で「現場」というと記者クラブを意味します。テレビ局でニュース番組のディレクターが「今後現場に戻ることになりました」と挨拶されることがありますが、それはどこぞの記者クラブに配属になりました、という意味です。一般人がニュースの「現場」と聞いて想像するのは実際にニュースが起きた場所のことだと思いますが、日本ではそうではないんです。

実際の事件「現場」や災害「現場」に行くのは、記者クラブに配属された記者ではなく、遊軍と呼ばれる外を走り回ってネタを拾ってくる若い記者だったりします。日本のメディアでは現場はあくまで記者クラブ、つまり省庁です。報道されているニュースのうち、およそ6割から多いものでは9割近くが記者クラブで発表されたニュースだという統計もあります。つまり、記者が独自に現場で拾ってきた情報(記事)が極端に少なく、政府が発表した情報が圧倒的に多いのが、日本の報道の特徴です。普通はこれは政府広報と呼ぶべきものですが、日本では記者クラブがあることによって、市民は役所が発表した広報情報をニュースとして受け入れていることになります。

記者クラブに配属された記者は省庁内の記者室が自分の仕事場になるので、そこに自分の席があり、毎朝、役人と一緒に役所に登庁してきます。クラブに配属になった記者の多くは本社に自分専用の席はありません。

彼らは朝省庁に登庁してきて基本的に1日中クラブの中にいて、途中でレクと呼ばれる役人によるブリーフィングを何度となく受けます。加えて広報資料が毎日、山のように役所から降ってきます。ときには、「15分後に(記者室に隣接する)記者会見室で〇×課長によるブリーフィングがあります」というアナウンスがきたりするので、長時間席を外すことは許されません。記者クラブ配属になったら、1日中部屋にいないといけないし、いつまで自分がそのクラブに配属されるかわからないので、記者クラブの記者は暇な時間には代々その社のそのクラブに引き継がれている新聞の切り抜きや資料のスクラップブックがあり、それを引き継いでいくこともその代のクラブ記者の重要な責任なので、皆さん熱心に資料のファイリングに取り組みます。
結果的に記者クラブに配属された記者は自由に外に取材に出られず、基本的に省庁の中に常駐することになるので、彼らへのインプット(=情報ソース)はほぼすべて役人からということになります。

よく政治家で〇〇族という言い方をします。厚労族とか文教族といった、いわゆる族議員です。同様に、記者クラブの記者も族記者化します。たとえば防衛省の記者クラブにいれば、その分野の人脈は分厚くなり役所から得られる知識も圧倒的に多くなります。そうなると、例えばあるテレビ局が防衛政策に関する番組を作りたいというときは、必ず自局の防衛族記者に話を通さないとならなくなります。族記者に話を通さずに番組スタッフが頭越しに防衛省の広報や担当部局に連絡などしようものなら、後で大問題になります。そうなると、その役所がどうしても聞いて欲しくないことが聞きにくくなります。

役所から見ると、今はそのテーマは都合がよくないから、マスコミには扱ってほしくないということが多々あります。そこで族記者が役所の立場も考え、うまく調整することになります。

本来、記者クラブは省庁内に陣取って役所を監視するためにあります。ところが一体どっちを監視しているのかわからないような状態になっていることがよくあります。と言うか、大抵そういう関係になっています。記者クラブは、自局のスタッフが役所の意に反する番組を作るのを止めたり、トーンを和らげたり、間に入って調整をしたりする役回りを演じることが仕事になっていて、要するにいつのまにか報道機関側ではなく役所側の利益を代表しているケースが多いのが実態です。でもそうなるのも無理からぬところで、何せ、朝役人と一緒に同じ駅で降り、同じ庁舎に登庁してきて、1日役所の中で時間を過ごし、会見だレクだ資料だといって役所から洗脳というか、教育されているわけですから。

ただ、筑紫哲也さんのような大物キャスターが編集権を握っているニュース番組や、かつての高視聴率を誇ったニュースステーションのような番組では、族記者が番組の意向を止められないこともあります。一方、新聞社はテレビ局よりも、まあよく言えば統制が取れているというか、命令系統がしっかりしている場合が多いようで、族記者の意向に反した記事を末端の記者が勝手に書いたり、そのような記事が紙面に出てしまうことはまずないようになっています。

このように記者クラブの話は記者会見への参加資格ばかりがクローズアップされることが多いですが(そして、その排他性もまた本質的な問題ですが)、その影響はずっと奥深く、また多岐に渡ることは意外と理解されていません。要するに記者クラブなどという陸の孤島にいると、一見彼らにとっては色々お膳立てされていて好都合に見えて、実際は役所に取り込まれてしまい、結果的に市民の知る権利が侵害されてしまっていることが問題なのです。

記者クラブの負の要素とは、端的に言ってしまうと、クラブという形で政府がメディアを抱き込み、政府に都合よく情報をコントロールするための格好のツールになっていることです。そして、この視座が広く世の中に共有されていません。記者クラブの記者が言うことと役人が言うこととが一体化し、しかも彼らが情報へのアクセスを独占しているために、それ以外の情報が出てこないこと。それこそが、記者クラブ問題の本質です。

本来、ジャーナリストが特権的地位にいると、書ける内容が制限されるから損になります。しかし、特権は近視眼的に見れば、他の事業者(記者クラブ以外のジャーナリスト)に対しては自分たちを有利な立場に置いてくれます。そのため基本的なジャーナリズム教育やトレーニングを受けていないと、いとも簡単に特権に飛びついてしまい、自分がその対価として何を差し出しているかを自覚することができません。

日本の場合、大手メディアの記者も、基本的なジャーナリスト教育はほとんどまったく受けていません。日本でジャーナリスト教育というと新聞社、通信社、NHKに入ってから1ヶ月ほど新人研修を受け、その後、新人は地方支局に配属になり、そこで新人としてのトレーニングが始まります。OJTですね。地方から始めるのは悪いことではないのですが、残念ながら日本では地方都市にも漏れなく記者クラブがあり、主な取材拠点は市政クラブや県政クラブ、もしくは県警の記者クラブになります。つまり彼らが新人として最初に覚えさせられるのが、地方の記者クラブ・カルチャーの中での立ち回り方なのです。

もちろんそこでは同時に取材のイロハや記事の書き方のイロハも学びます。しかし、ジャーナリストにとっては一丁目一番地と言っていい、基本中の基本となる権力との距離の取り方や緊張関係を学ぶ場が構造的な癒着の温床となっている記者クラブでは話になりません。

そして、そこでうまく立ち回れると証明された記者だけが中央にあがってきて、より上の地位に引き上げられます。すなわち記者クラブの論理を完全に自分のものとしてマスターすることが記者としての基礎トレーニングの重要な一部となっているわけです。本来のジャーナリズム教育がなく、記者クラブ教育を受けた記者の中でも、そのシステムにもっとも適応力が高かった記者たちが、今中央で活躍しているということです。